- 小説を書いていた頃

2005/03/19/Sat.小説を書いていた頃

昔は小説を書いていた T です。こんばんは。

ハードディスクからの誘い

ひょんなことから、20歳の頃に書いた小説のファイルが出てきた。出てきたも何も、最初からハードディスクの奥底に眠っていたわけだが。別のファイルを探す目的で検索したところ、そのキーワードをタイトルに含む小説が引っ掛かってきたので、つい開いてしまった。

懐かしい……とでも書けば、一種の懐旧譚になるのだろうが、とても懐かしむどころではなかった。開いたファイルは文字化けしており、読むことすら不可能であった。俺が一所懸命に小説もどきを書いていた当時の愛機は、Mac OS 8 や 9 で動作していたから無理もない。Mac OS X になったときに、フォントの仕様がガラリと変わってしまったからだ。

さすがに不憫であり、文字化けを直してやる。文章が出てくると、思わず読んでしまう。書いた俺自身も完全に内容を忘れている。執筆から数年を経て、ようやく客観的な評価を下す機会に恵まれたともいえる。そう思って読み進める。ヒドい文章が多い。思わず手直ししたくなる。が、下手に修正しても、その部分が浮くだけだ。我慢して読む。赤面、噴飯、冷汗。自分でも恥ずかしかったが、素直に面白く読めた作品もあった。アホかオマエは、と昔の俺を罵りたい部分が多いけれど、結構やるやん、と褒めたい部分もある。

そんな時間を過ごしながら、色々と過去のことを思い出した。そういうわけで、今日は回想録を書く。他人にとっては何ら面白くもないだろうが、暇ならお付き合い頂きたい。

前世紀の記憶

俺が初めて文章らしい文章を書いたのは、高校3年生の9月下旬である。何を書いたかは忘れてしまったが、この時期であることに間違いはない。「書く」というのは何と難しいことだろう、そう思った記憶だけがある。情けない話だが、そのまま放り投げてしまった。ただ、それ以後、読書量は増加したように思う。

大学生となって、文芸部に入った。何故ここに入部したのかは、自分でもよくわからない。恐らく居心地が良かったとか、そんな消極的な理由だったと思う。少なくとも、「では一筆まいらせる」という意識はなかった。文芸部では年 4回、150部の部誌を発行していたが、部員になっても執筆の義務はない、と言われた。気が向けば書くという、そのスタンスが俺を安堵させた。

大学 1年生とは、想像以上にヒマであった。入学したばかりでバイトもせず、授業もロクになく、かといって金もないので、毎日部室に行っては時間を潰した。「5月に部誌を出す」という話だったので、では一丁書いてやるか、と思い立った。件のファイルの作成日を見ると、「1999年 4月 18日(日)17:34」となっている。どうせ夕方まで寝倒した挙げ句、起きてもやることがなかったので書き始めたのだろう。

B5 用紙に縦書き 2段組で、27ページの探偵小説を2週間ほどで書き上げた。初めてにしては結構な量である。しかも、物理トリックを説明するイラストまで入っている。我ながら怖いもの知らずだと思う。当時の俺は、熱心に探偵小説を(半ば義務的ともいえる使命感をもって)体系的に読破してやろうとしていた。処女作が探偵小説というのは、必然だったのかもしれない。それにしても最初から物理トリックに挑戦するあたり、若いというか何というか。いやはや、としか言えない。

遊里郷

この小説は、そこそこの好評を賜った。多分に世辞もあったのだろうが、尻の青かった俺は嬉しかったようで、2ヶ月後の 6月 18日(土)10時 58分には、第2作に取りかかっている。この作品も探偵小説であった。プリントアウトした原稿を最初に読んでくれたのは、ふらんそわ氏だった。彼が読み進める様を、俺は隣で見守っていた。ふらんそわ氏が最後の1枚に目を通し始めてから約 1分、彼は「あっ」と声を上げた。そして、原稿から顔を上げて俺を見た。「驚いた」と言ってくれた。

「これまでで最も嬉しかったことベスト 5」に入るであろうこの瞬間、俺は「書く」という行為の虜になった。文章をしたためている人は皆、似たような経験があるのではなかろうか。それ以後、研究室に配属されるまで、幾つかの小説を書き散らした。たった数年前のことだが、今思えば、夢幻の世界に遊んでいたような感じである。

よくあんなエネルギーがあったものだ。今でも「何か書いてみようか」という気持ちが芽生えることは、ままある。しかし、それに必要な時間と労力を考えると尻込みしてしまう。書き始めたら楽しいんだろうなあ、とは思うけど、そこに持っていくまでが大変だ。毎日日記を書くことで、欲求が円滑に発散されているという面もある。小説なぞ、もう死ぬまで書かないのかもしれない。

自分の作品が掲載されている部誌は、ちゃんと保存している。久し振りに引っ張り出してみたが、かなり色褪せていた。その点、デジタルデータはいつまでも精細なフォントで、若かりし頃の文章をディスプレイに映し出す。何だか奇妙だった。掘り出したファイルを PDF に変換し、CD-ROM に焼き付けた。少しは固定化されたような気分になる。封印、という意味ではない。記念品みたいなものだ。