- 当面は紙の本に執着する理由

2010/07/05/Mon.当面は紙の本に執着する理由

電子書籍の利便性を認識しつつ、紙の本に執着している。その理由について述べる。

電子書籍に限らず、デジタルコンテンツには、複製防止を目的としたロック、あるいは暗号化が施されている。例えば Apple が倒産し、iPad が壊れたとき、iBooks で購入した電子書籍は読めなくなる。モノとして購入する紙の本とは、この点が決定的に異なる。電子書籍の実体は、データへのアクセス権である。

もう一つは譲渡の問題である。紙の本は、適切に保存すれば数百年に渡って伝世させることができる。一方、電子書籍はデータへのアクセス権でしかないので、蔵書を他者に残すことができない。

読書家は本を手放さない。「自分とは無関係の都合によって読めなくなる本」や「家族や友人に残すことができない本」など、彼らにとって本ではない。当然、電子書籍には慎重になる。読書家が紙の本に拘泥するのは、anachronism や保守主義からではない。指の脂でギトギトになった iPad の液晶では見えぬものを視ているのである。

Publisher に都合の悪いこれらの事実は、繰り返される電子書籍の宣伝の中で、いつも曖昧にされている。読者は自らの権利のために声を挙げるべきだが、議論は盛んではない。問題意識を持つ読書家は、まだ紙の本を読んでいるからである。

状況を進捗させるには、電子媒体でしか読めない魅力的な書物が必要である。電子書籍は、作者としての参入が紙の本よりも容易なので、この点について心配はない。いずれ優れた作品が続々と発表されるだろう。

個人的には、電子書籍に期待している。問題が解決されれば、紙の本は駆逐されるとも思っている。しかしそれが何年後になるかはわからない。

想像を逞しくしてみよう。

予言しておくと、「死亡した父が購入した電子書籍を息子の私が閲覧できないのは不当である」といった訴訟が、米国あたりで間違いなく起こる。この種の問題を解決し、電子財産に関する法整備を行うには、「個体」の認証システムが必要になる。

現在の個人認証システムでは、一人の人間が複数のアカウントを所持する、既存のアカウントを他者に譲渡する、他者のアカウントを乗っ取るといった行為が可能である。これに対し、国民 ID と生体認証を複合した個体認証が確立されれば、その一意性によって——逆説的だが——、電子財産の譲渡や相続、権利の保全(購入したデータへの永続的なアクセス)といった課題が解決され得る。

(個体認証の是非について、ここでは論じない。しかし大きな流れとして、個体認証システムは否応なく整備されていくであろう)

まとめよう。現在のところ、読書家が電子書籍に手を出す理由は全くない。しかし電子書籍は、その利便性ゆえに問題を解決する方向で発展していくことが予測される。

読書家は電子書籍の完成を願っている。火事(本の滅失)や地震(本や本棚による圧死)の恐怖から解放されたいからである。