- 病気論(一)

2010/07/27/Tue.病気論(一)

医学部に在籍しているので、病気についてよく考える。病気を包括的に定義することは難しい。病気であるという現象=症状を、生物個体における恒常性の破綻と位置付けることはできるだろう。ひとまずこの理解で、色々の事象を眺めることにしている。

生命現象と生物個体は鶏と卵の関係ではないか。そういうことを思う。

個体は遺伝子の乗り物に過ぎないという考え方がある。生命の伝達は個体の生存に優越するという思想である。

この議論は、例えば単細胞生物では成立しない。一つ一つの単細胞生物は、そのどれもが同質であり、他個体と違う identity を保持するわけではない。単細胞生物の分裂において、生命の伝達と個体の生存は等価である。

つまり、「遺伝子の乗り物」仮説は、ある程度進化した生物(個体が identity を有する生物)を前提としている。このような問題設定は無効ではないか。「生命現象と生物個体は鶏と卵の関係」と考えるのもこのためである。

進化に伴って生物は随分と複雑になり、個体は充分な identity を獲得するようになった。我々に至っては自我を持っている。この identity によって、我々は、子孫を残さないことよりも、自らの死を恐れるようになる。去勢をしてまで自己の栄達を望む宦官は、その典型である。

このような生物個体にとって、自己が自己であることこそが最大の存在証明となる。例えば生命の三大条件の一、自己複製能力などは宦官のチンポとともに彼方へと飛んでいく。ここにおいて生命と個体は明確に分離される。

生物個体において、生存と自己同一性と恒常性はほとんど同じ意味を持つ。したがって我々は、恒常性の破綻(≒病気≒死)を恐れる。社会が進むにつれて病気が大きな問題になってくるという歴史的経過は、生物個体の identity の確立、すなわちヒトの自我形成と密接な関係がある。

恒常性の破綻(病気)は生存を脅かすと同時に、自己同一性を危うくする。ある種の病気(特に、外見あるいは精神の変化が著しい疾患)が差別の対象であったのはこのためである。

病気は個体の上に発生する。これは個的であり、具体的であり、臨床的である。だから病気は長らく生物学の重要な課題ではなかった。病気と生物学の関係については改めて論じなければならない。

病気を「生物個体における恒常性の破綻」と定義したとき、果たして遺伝病は病気であるのかという疑問が出てくる。遺伝病において破綻している(と考えられる)恒常性は、「種としてあるべき」と想定されたものであり、個体のそれではない。生まれながらにして症状を抱えている遺伝病患者の「恒常性」とは何であろうか。病気と生物種の関係については改めて論じなければならない。

次は、「生物個体における恒常性の破綻」が「想定外の事物」からもたらされるということについて、機械であるところの生物個体の完全性について考えてみたい。