- 病気論(二)

2010/07/31/Sat.病気論(二)

「細胞の『状態』」を挟んで、「病気論(一)」の続きを書く。

生命や生物を考える際、肝に銘じることにしている点が二つある。

生物学が対象としているのは、地球という惑星に発生した唯一の生命システム(細胞系)である。忘れがちだが、細胞系は極めて特殊なものであり、普遍的なものではない。「種を通じて保存されている普遍的な遺伝子」などというが、これは限定された普遍性である。物理学や化学は宇宙の果てでも成立するが、現在の生物学の適用範囲は大気圏内に留まっている。

生物について学ぶと、その複雑で精巧で緻密な構成に圧倒されるような感動を覚える。素朴な意味で「神様」を感じることもないではない。この想いが、「神様が作り給うた生命は完璧である」という信念へと変化するのも自然なことである。しかし、そこには論理の飛躍がある。

素直に考えれば、ただ一回だけ創造され、連綿と改良されているとはいえ抜本的な再構成が行われたことのないシステムが常に完全であり続けるわけがない。細胞系(生命や生物と換言しても良い)は恐らく、我々が考えているよりもずっと不完全である。これが第一点である。

また、熱力学に従うなら、起こり得ないことは起こらない。いかに「あり得ない」としか思えなくとも、生命の誕生や生物の進化は恐らく、我々が考えているほど奇跡的ではない。さらにいうなら、むしろ物理化学的な意味で「自然」な現象であったと考えることもできる。これが第二点である。

ところで、免疫系は興味深いシステムである。これは「"想定外" の抗原にも対応することを想定した」系で、その着想といい実装といい運用といい、見事という他ない。

その一方、例えばヒトは、血中の cholesterol が平均を僅かに上回る(正常値は 2.0 mg/ml 以下、2.4 mg/ml 以上で hypercholesterolemia)だけで、心血管疾患を発症する危険性が著名に高まる。免疫系が非常な robustness を示すのに対し、cholesterol に対する sensitivity はあまりにも脆弱である。生物は、未知の抗原に対する防禦系を着々と構築しつつも、しかし僅かな cholesterol 濃度の振幅は想定できなかった。

病気の原因は必ず「想定外の事物」である。細胞系の「想定」は genome に書き込まれている。したがって genomic medicine という方向性は基本的に正しい(免疫系という自己言及的なシステムが genome の書き換えを要求するのは必然である)。ここで genome から読み取るべきは、細胞系の完全性ではなく不完全性である。

病気の症状を「異常な反応」と解釈するのは誤りである。起こるべき反応は起こるべくして起こる。病的な症状の進展は、物理化学的に「自然」な反応のはずである。ただ、その現象を細胞系が想定していなかったというに過ぎない。

病的な反応を薬剤によって停止させることはできる。しかし、自然な反応を停止するからには、必ずエネルギーが消費されているはずである。このような追加のエネルギー出費もまた、細胞系にとって想定外であろう。これが副作用の根本原理である。

「病的」という言葉に対するイメージを改めなければならない。物理化学的に abnormal で irregular な反応は起こらない。したがって病気は進行するべくして進行する。悪循環は本質的に自然な cycle である。それが阻止ないし緩和されるのは、免疫系のようなシステムを細胞系が用意している場合だけである。自然治癒を過度に期待するのは、「神様が作り給うた生命は完璧である」と信じるのと同程度に望み薄である。