- 黄泉比良坂でつかまえて

2007/06/24/Sun.黄泉比良坂でつかまえて

今日の写真はちょっと狙い過ぎかも、と反省している T です。こんばんは。

書斎の『日本書紀』

研究日記

この週末も仕事。研究員嬢も土日に来ている。タフな人だ。

やりたいことが明確で、現実にそれを仕事にしている人間はこういうものなんだろうが、孤独だなあ、とも思う。

『古事記』の中のスゴい日本語

黄泉比良坂
黄泉の国と現実の世界との境界。
黄泉戸喫
黄泉の国の竃で煮炊きした物を食べること。これを食べるとその国の者になりきると信じられていた。
黄泉醜女
黄泉の国の醜い女。死の穢れの擬人化。
(いずれも倉野憲司による注釈)

先日の日記で、『古事記』に出てくる「クソまり散らしき」(屎麻理散) という素晴らしい日本語を紹介した。他にもまだまだ例があって、ゲシュタルト崩壊にも似た感覚を、文章レベルで味わうことができる。

最初の方では、黄泉国の場面が秀逸である。黄泉比良坂 (よもつひらさか) などは、字面も響きも詩的で美しいが、黄泉戸喫 (よもつへぐひ) となると、「ムムム」という感じになる。黄泉戸喫をしたイザナミは、「蛆たかれころろきて、頭には大雷をり、胸には火雷をり、腹には黒雷をり、陰 (ほと) には折雷をり、左手には若雷をり、右手には土雷をり、左足には鳴雷をり、右足には伏雷をり」という凄まじい姿になってしまうのだが、ここでも「蛆たかれころろきて」(宇士多加禮許呂呂岐弖) という表現に琴線がビンビンと引っかかる。こんな具合だから、なかなか先に進めない。

さて、イザナキが黄泉国から逃げ帰るときに追撃してくるのが、黄泉醜女 (よもつしこめ) という、文字を見ただけで「勘弁してくれ」と謝りたくなるような奴である。追いかけてくる黄泉醜女が 1人なのか複数なのかはわからないが、とにかく追いかけてくる。逃げるイザナキは鬘 (かずら) を投げ捨てる。するとこれが葡萄になり、黄泉醜女が拾い食いを始める。その間にイザナキは逃げようとするのだが、すぐに追い付かれてしまう。これが怖い。イザナキは、今度は櫛を投げ捨てる。これは筍になるのだが、やはり黄泉醜女は抜き食いを始める。名前に違わぬ浅ましい奴である。おかげで、イザナキは黄泉醜女を撒くことに成功する。

話は少し変わる。黄泉比良坂を挟んで対峙したイザナキとイザナミは、それぞれ次のように言う。

イザナミ「お前の民を、1日に 1000人殺そう」
イザナキ「ならば私は、1日に 1500 の産屋を立てよう」

これが人の生死の由来である。額面通りに受け取れば、1日に 500人、1年で 18万2500人の人口増加となる。計算してみよう。神武天皇即位が皇紀元年、昭和15年が皇紀2600年であるから、この間だけでも 4億7450万人の増加となるはずである。しかしこの数字は多過ぎる。じゃあ嘘か。ところが注意深く読むと、イザナキは「1500 の産屋を立てる」と言っているだけで、「1500人の人間を誕生させる」とは言っていない——。何だかズルい気もするが。