- 「獲得形質の遺伝」は言葉の問題

2007/06/12/Tue.「獲得形質の遺伝」は言葉の問題

進化したい T です。こんばんは。

研究日記

終日病院。

今週から、別のグループのテクニシャン君に細胞培養を教えている。そのグループの先生には「デモだけで良いよ」と言われているが、そういうわけにもいかず、結局は手取り足取りという形になる。正直なところ、面倒ではないといえば嘘になる。しかし私も、大勢の人に「面倒」を見てもらったからこその現在があるわけで——、などという当たり前のことを、最近は本当によく思うようになった。頭で理解しているのと、実感するのとは全く違う。

などという説教臭い話を、私は最も嫌っていたのではなかったか。何を書いているのだバカめ。慌てて別の話をする。

兄弟姉妹の存在はその人の人格に大きく影響する。明らかに兄らしい人、見るからに妹らしい人は少なからず存在する。「兄らしい」「妹らしい」という性質を、適切な方法で「表現型」として定義したと仮定する。この表現型が獲得形質であることは自明である。

兄らしい兄として教育された男と、妹らしい妹として教育された女が結婚して、息子 (長子) と娘 (次子) をもうけたとする。恐らく息子は兄らしい兄として教育され、娘は妹らしい妹として教育されるだろう。つまり、獲得形質が遺伝する。

こういう例は多い。例えば、高学歴の両親から産まれた子の学歴は高くなりやすく、保守的な家庭の子は保守的な考え方を持ちやすい、などなど。この現象を宇宙人が見たらどう思うであろう。やはり、獲得形質は遺伝すると考えるのではないか。

あまりに例が卑近なので、もう少し抽象的に書いてみる。環境要因によって獲得される形質がある場合、その種がその環境で世代交代をする限り、獲得形質は遺伝する (少なくともそのように見える)。

一般的に、「獲得形質は遺伝しない」と考えられている。しかしこれはむしろ、「獲得形質」「遺伝」という言葉の問題でもある。「遺伝」というタームは現在、狭義には遺伝子を媒介した伝達様式に限定されて使われる。その定義に従うならば、そもそも「獲得形質の遺伝」という言説自体が成立しない。はずなのである。このことはあまり指摘されない。

他にも問題はある。基本的に進化とは世代間で発生するものであり、個体が進化することはない。さて、獲得形質の遺伝によって進化が起こると仮定する。するとどうなるか。ある形質を獲得する前と獲得した後の (同一の) 個体は、進化的に別物であることになる。つまり個体が進化する。ここで「進化」という単語の意味を拡大しても良いのだが、すると今度は「種」というものを新たに考える必要が出てくる。「獲得形質が遺伝して種が進化する」と書き飛ばすことは簡単だが、真剣に読む者にとっては全く意味不明である。

教科書なら大丈夫だろうという考えは捨てた方が良い。「獲得形質は遺伝しない」ことの説明をよくよく検討してみると、「遺伝しない形質を獲得形質という」ことを主張しているに過ぎない場合も多い。一度パラダイムが固まってしまうと、このような本末転倒の自己言及が発生する。結果的にそれが正しかったとしても、それでは単なる知識に過ぎない。教養以上の知的領域に踏み込むならば、そういう「賢さ」を捨て、バカになって虚心に考えよう。特に大学生には強くお勧めする。大学生活のある時期があれだけ暇になっているのは、こういうことを考えるためである (ということに卒業してから気付く)。

機会があれば、次は断続平衡進化説について書いてみよう。