- Play Some Roles

2007/12/03/Mon.Play Some Roles

そろそろ HTML エディタを乗り換えようかなと考えている T です。こんばんは。

愛用しているのは Adobe GoLive 6.0。2002年の製品である。このサイトを作るために購入した (いや、最初は PageMill 3.0 だったかな)。以来、ほぼ 6年に渡る日記はほとんどこのソフト上で書いている。購入当時、Mac OS のバージョンははまだ 8 とか 9 だったはずだ。この GoLive は今でも問題なく動いてプレーンな HTML を書くだけなら何の不都合もないのだが、文字コードや特殊文字、CSS の表示にはさすがに不満が出てきた。そろそろ買い替えどきかな。元は充分以上に取ったと思う。

研究日記

夜は大学で製薬会社協賛のセミナー。

細胞死はアポトーシス (apoptosis) だけではない、という話が面白かった。Bcl-2 → cytochrome C → Apaf-1 → caspase-9 というミトコンドリア以降の古典的な経路は同じでも、ミトコンドリアに対して Bak/Bax を介さない経路もある。もちろん細胞はネクローシス (necrosis) でも死ぬしオートファジー (autophagy) でも死ぬが、オートファジー細胞死は初代培養細胞でしか起きない。癌化した cell line でもオートファジーは起きるがそれで死なないということは逆に、癌細胞 = オートファジー細胞死が機能しない細胞ということもできる。などなど。

セミナー後、大学院の K先生と駅へ向かいながら少し話す。「T君ってどんな分野に興味あるの? 今日の話はシグナルだったけど」。難しい質問だ。興味っていうのとはちょっと違うかもしれないけれど——、以下に少し書いてみる。

僕が大学で最初に行った研究は筋肉繊維の運動をスイッチするタンパク質という超古典的かつ機械論的な研究だった。だから僕が何かしらの生命現象をイメージするときは、いつも個々の登場人物 (多くはタンパク質) がそれぞれ独自の相貌を持ってカチャカチャと動いたり組み合わさったりする。とても機械的なのだ。

シグナルは「情報伝達」という点に最大の眼目が置かれるけど、「『情報』は抽象的な概念として扱われることが多いが、必ずや何かの『実体』を伴う具体的なものである」と僕は思っているから、単にシグナルの流れを追うだけでは物足りない気が常にする。それぞれのシグナル分子の顔をもっと見たい。医学的な研究の場に移ってから面白いと思ったのはやはり薬である。EBM (evidence-based medicine) とやらで研究されている薬の多くが受容体 (receptor) - リガンド (ligand) の系であり、この開発には「形」が大きくものをいう。副作用のかなりの割合が特異性の問題に帰着する。

どうでも良いが、就職してから「EBM が最近の流れ」と聞いたときには本当にビックリした。じゃあ今までは証拠 (evidence) がなかったのかよ。それまでも薬は好きじゃなかったが、EBM の文字を見てからはますます嫌いになった。職場では臨床試験の裏側なんかもチラッと覗けたりするのだが、まァ色々と考えることもある。断っておくが、以上はあくまで個人的な感想である。

これは誤解を招く表現かもしれないが、臨床試験とは名前を変えた人体実験のことである。人間の身体が極めて高度に複雑であり、かつ個人によって千差万別である以上、製品として完璧な薬なんておよそあり得ない。したがって、既に実績のある薬の服用でも、それは常に実験の延長であるともいえる。長年に渡ってしつこく追跡調査がなされるのはそのためだ。臨床試験という人体実験が悪いとは全く思わない。それなくして現在の我々の健康は勝ち得なかったのだから。だから僕の表現で誤解はしないでほしい。

ただ、実験であるから失敗する可能性は常にある。倫理的な問題があるから、できるだけ失敗の可能性を低減させるように基礎研究というものがある。そのためには知らなくて良いことなんて 1つもない。どんな研究もどこかで何かにつながる可能性がある。

「何の役に立つのか」と訊かれたら、「何かの役には」と答えよう!