- GEISYA Girl

2007/12/11/Tue.GEISYA Girl

「おもてなし」という言葉が嫌いな T です。こんばんは。

「北海道シチュー」という名前の商品が存在するが、原料の 1つである生クリームが北海道産というだけでこのようにネーミングするのは産地偽装や誇大広告と弾劾するべきではないか。この場合、どう考えても「北海道」という語はブランドというかイメージとして恣意的に使われているわけであり、したがって北海道知事はハウスに対して何らかのロイヤリティを請求しても構わないと思う。というか、北海道民の誇りのためにそうするべきだ。CM ではログハウス風の部屋に暖炉を焚いてシチューを啜る場面が映じられているが、「北海道はそのような場所であってほしい」という無責任な感覚に基づいた幻想や要求もやはり北海道民に対して無礼であろう。俺が北海道民であったならばハウスに怒りのメールの一つでも送ってやるところだ。

これは先進国と発展途上国、旧宗主国と旧植民地の関係にも根深い所でリンクしている感情じゃなかろうか。行き過ぎた平等主義や保護政策が人種差別の裏返しであるのと同じ。「自然を守ろう」っていうのも一緒。段階を踏んで書くのが面倒なので話を端折るが、大体わかって頂けると思う。

京都も同様である。日本中、否、世界中から「The Japan」であることを求められ、その期待に応えるために私利私欲私財を封じて不自由で中途半端な都市の維持構築に腐心し観光客が落とす金で糊口をしのいでいる。結果、京都は近代的な都市になり損ねた。それが悪いとは全く思わないが、観光立国、観光都市の民になることは動物園の動物になるのとある意味では等しいということに、プライドが高いと評される京都人は果たして気付いているのだろうか。そのへんが怪しいし、時折、俺が「京都も巨いなる田舎」と思ってしまう理由でもある。

これは、他者からどう見られているか、それに対してどういうリアクションをとるのか、という話である。観光地として売り出すのと、観光地であることを求められるのは少し意味合いが違う。魅せるのと媚びるのも違う。自ら舞妓を志して世界にアピールするのと、外国人から無差別にゲイシャとして見られるのではエラい違いだ。といったら書き過ぎか。でも、紛い物ではない自尊心を自覚的に保つ必要はあるだろう。

shuraba.com は北海道知事を応援します。