- Simple is Best

2005/05/06/Fri.Simple is Best

テレビをゲーム機のディスプレイとして使っている T です。こんばんは。

NHK 受信料の法的根拠

NHK の集金が来たので受信料を払う。昨今の凄まじいバッシングを受けてか、気の毒なくらいに集金者氏の腰が低い。氏から頂いたパンフレットに、NHK 受信料の法的根拠が書かれてあったので抜き書きしておく。

Q: 受信料って法律できまっているの?
A: 法律できまってます。NHK は公共の福祉のために、日本全国で受信できる良い放送番組を行うために設立された特殊法人です。そのために営利を目的とする事業を行うことを禁ぜられています。その代わり、NHK の放送を受信できる設備を持っている人は、NHK と受信契約をしなければならないと定められています。(放送法 32条 1項)

Q: 見ていないのに払わなければいけないの?
A: 災害が起きたときには、被害の状況だけでなく、二次的災害を防止するための情報を迅速かつ的確にお届けします。(中略)これらにかかる経費をテレビをお持ちの方に公平に負担して頂こうというのが受信料制度の趣旨なのです。

俺も NHK の受信料には言いたいことが山ほどあるし、そもそも 1分も見ていない NHK に金など払いたくない。しかし、法律で決められている以上は、払うのが筋なのだろうと思って払っているわけだ。褒められた信条ではないかもしれないけれど、「法律で決まっている」と言われたならば、常に俺は「ハイハイ」と従うことにしている。それが法治国家の原則と思うからだ。「法律がおかしい」と主張して法に背く人がいるが、それは子供の理屈だろう。「おかしい」と思うならば、法律を変えるなり撤廃するなりするための運動をすれば良い。俺は政治が嫌いなので、「ハイハイ」と言うことで消極的に分別を守っているつもりなのである。まァ、遵法精神とは少し違うんだけど。

「この法律は正しいから守る、あの法律はおかしいから守らない」では、法律の意味がなくなる。法の善悪を判断するルールが、法律の上にできてしまうからだ。それは新たな法律である。このようにしてできた規範は、やがて同じように破られていくだろう。どこかでラインを引いて、一元的・盲目的に墨守しなければならないのだ。

そのラインをどこに設定するかは、個人の器量による。俺は別に、NHK の受信料を不払いしている人を非難するつもりはない。実際におかしいと思うよ、「テレビを買っただけで契約しなければならない」だなんて。

科学は信頼から成る

ちょっと話が逸れたが、法律に対してそんなふうに考えたのは最近である。その一つに、大学で研究を始めたことが関係していると思っている。俺はウエスタンブロットが下手糞で、いつまで経っても複数のバンドが出るという時期があった。で、そのうちヤキが回ってくる。「このバンドは分子量が違うし、これはコントロールと比べてXXだから……」と、自分の実験結果を正当化したくなるのである。そんなことを繰り返しても実験は上手くならないし、結果が出るわけでもない。何より説得力がない。実験結果はノイズや失敗も含め、全てを一元的に「結果」として受け入れることからしか始まらないのでは、ということに思い至ったのはいつだったか。恥ずかしい話である。

変な言い方かもしれないが、科学とは「信頼」で成り立っているのではないかと思うのだ。例えば「DNA の二重らせん構造」という知識を「事実」として俺も信じているが、「DNAが二重らせんだなんて、俺は見ていない」というのもまた「科学的」な態度ではある。だが、一々そんなことを自分で確かめている時間はない。営々と積み上げられてきた過去の蓄積を「信じる」ことから研究は始まる(定説を疑うことから始まる研究もあるが)。

過去の「信頼」の上に、自分の成果を上積みしていく。そうやって科学の塔は高くなってきたんじゃないだろうか。もちろん自分が積み上げるものもまた、同じく信頼に足るものでなければならない。「このバンドは……」と、言い訳が必要なものは使えないのだ。

「信頼できるもの」を考えるとき、それは大抵シンプルであることに気付く。色々考えるのは面倒臭いし、第一、よく間違う。畢竟、自分をどこまでシンプルにできるかという問題である。そうすれば、自ずと信頼や対応力も手に入ると思うのだが。