- ヘヴィノベル

2010/04/11/Sun.ヘヴィノベル

日常なんてつまらないものだと思う T です。こんばんは。

面白かったら、それは非日常だろう。

ライトノベルがあってヘヴィノベルがないのは何故か。そもそも俺はライトノベルを読んだことがないのだが、仮にヘヴィノベルが実在するとして、その性質を安直に推測すれば、

  1. 内容がヘヴィ
  2. 文体がヘヴィ

どう見てもドストエフスキーです。本当にありがとうございました。

冗談はともかく、どれだけ憂鬱で陰惨で「重たい」内容の小説でも、それが小説 = 虚構であるという点で最終的な救いがある。しかしこの「救い」は、同時に小説の「底」でもある。少なくともそういう疑念がある。

ここ数年、小説にはほとんど手を付けずにノンフィクションばかりを読んでいる。「これは実際に起こったことである」というノンフィクションの前提が、小説の「底」を突き破り、俺の妄想を一段と飛躍させるからだ。

しかしそれはプラセボ効果かもしれない。「ノンフィクション」と銘打たれたフィクションを読んでも、俺の妄想は飛躍するだろう。逆にいえば、俺はハナからフィクションをナメてかかっているともいえる。フィクションであろうと、真摯に読めば「底」を打ち破れることは、経験的には知っている。ただ、エネルギーが要るんだよなあ。

これは「事実は小説よりも奇なり」という古い古い問題とも関係する。「実際に起きたこと/起きなかったこと」に対して、人間はどれだけ想像の翼を働かせることができるのか、という問いである。「実際に起きたことの集合」と「人間が想像し得ることの集合」の差集合が、ノンフィクション、フィクションそれぞれの魅力であるともいえる。

日常とやらを描いた私小説の大部分がつまらないのは、内容の大部分が両者の積集合だからではないのか。ポエムも同様。日常は、描くだけなら最も簡単だが、興味深く描くのは最も困難である。