- 何が欲しいと問われたら

2010/04/24/Sat.何が欲しいと問われたら

「何が欲しい?」という陳腐な問いを真摯に考えよう。全てに満足し不足を感じぬ人間、何も求めぬ無欲で高潔な人間、そして極端にいえば今から首を吊ろうとしている人間ですら欲しくなるものとは何か。差し出しても決して断られぬものはないだろうか。

死に場所が欲しい、と思うことはある。

晩節を汚すことを厭い、生き方と同じく死に様を重視し、終わり良ければすべて良し、死者を祀り崇め奉る我々は、死に場所なら欲しがるのではないか。

金銭を断る者はいるだろう。権力や名誉を毛嫌いする人も多いだろう。異性に魅力を覚えぬ人間も少なくない。死に場所はどうか。死に場所を拒否する思想があるとしたら、それはどのようなものだろう。ちょっと想像しかねる。

もし仮に、自分に相応しい死に場所があらかじめ約束されているとしたらどうだろう。どんな苦吟もいつかは辿り着くはずの死に場所のため、全ての苦しみは自分の死に場所が自分に相応しくなるための過程なのである。全てを従容と受け止めることもできるだろうし、あるいは情熱をもって立ち向かうこともできるだろう。

しかしよく考えてみると、これは「死後は極楽へ行くのだから」という思想と大して変わりがない。真宗ではないか。

読書日記