- 夢破れて山河在り

2008/05/30/Fri.夢破れて山河在り

夢は意外と他人に語りにくいものだと思う T です。こんばんは。

「怒髪天を衝く」が「怒髪、天を衝く」であることはわかっている。しかし発音するときは無意識に「"怒髪天" を衝く」になってしまう。「怒髪天」という音感が良い。七福神にいそうである。大黒天、毘沙門天、弁財天、怒髪天。違和感がない。「怒髪天」という文字列を見るたびに俺の脳裏には不動明王が浮かぶ。「有頂天」も同様。ありがたい仏神のような語感である。

「逆鱗に触れる」という成句がある。龍の首に 1枚だけ逆向きに生えている鱗があり、これに触れると烈火のごとく怒るという。鼻クソをほじりながら虚心に味わってみると、三流ファンタジーの「設定」そのものとしか思えない (鱗の総数は 81枚だとか、また色々と細かいんだコレが)。神話が作られた時代から、人類の感性は意外と進歩していない。こういうのが「格好良い」のは昔からで、中二病だとか何だとかは今に始まった話ではない。

面倒なので Wikipedia で済ますが、「逆鱗」の出典は『韓非子』らしい (Wikipedia - 逆鱗)。じゃあ韓非は中二病か。

「韓非はマキャヴェリスト」という評は時間軸的におかしい。それを言うなら「マキャヴェリはカンピスト」だろう。マキャヴェリが『韓非子』を読んでいたかどうかは知らないが。

ヘタレは果たして「屁たれ」なのか。「ヘタる」という動詞もあるが、これらの関係は。「(果実などの) ヘタのように萎れて弱る」などという辞書的な説明を勝手に考えたが、通常、先にヘタってくるのはヘタではなく果肉である。

「屁たれ」であるとして、これはウンコタレと対をなすのだろうか。ウンコタレとクソッタレは似ているようで違う。ハナタレという言葉もある。かなり無理矢理だが、「〜たれ」は「〜であれ」という意味に取れないこともない。Be shit!

日本は素晴らしい国だが、現在の日本国家には幻滅を感じることが多い。「国破れて山河在り」という。ここでいう「国」とは何だろう。国家なのだろうか。どうでも良いが、「夢破れて山河在り」とすれば何だか絶望的に清々しい。稀な幸運児を覗けば、万人にとって夢はいつか破れる泡のようなものだ。俺は俺の夢が破れたときにどのような感慨を抱くのだろう。それとも泡は徐々に小さくなり、そのことに気付くことすらできないのだろうか。

「鞭声粛々夜河を渡る」と詠んだのは頼山陽だが、鞭声というのは馬に鞭を入れる音のことであり人声ではない。「鞭音」と書けば良さそうなものを「鞭声」と書く。このような漢字の使い方をしたいものだといつも思っているが、なかなか難しい。