食品売場で思い浮かんだり、食事中に考えたりしたことを雑多に書く。
魚介は魚貝と書くのがわかり良いと長らく思っていた。辞書によれば、介という字は甲を持つ生物を指すらしい。蛸や
白身の赤鯛は、その色彩から己が
黒毛和牛というが、どうせ肉しか食べないのだから毛色は関係なかろうといつも思う。
鶏肉の卵とじ、鮭とイクラの取合わせを親子と名付けた人間は、いささか性格が悪い。
自然薯というように、自然をシゼンと
自然薯も昆布も植物だが全く別の売場にある。同じ昆布でも、乾燥させたものは乾物、それに塩を
植物食品の分類は恣意的で混乱が著しい。主に食する部位によって野菜・果物・穀物と呼び分けられるが、とにかく例外が多い。瓜の一味は野菜から果物にまで
豆は華僑のごとく店舗のあらゆる場所に現れる。野菜売場はもちろんのこと、豆腐・納豆・油揚は豆製品という独自の王国を築き、乾燥豆は乾物や菓子、そのまた一部は酒肴として売られる。野菜や果物の絞り汁とは異なり、豆のそれはなぜか乳と
豆腐に醤油をかけるのは、飯を米酢で
種子の一族はそれぞれ隔離されている、稲は米、黍は野菜、麦は粉・麺・パン、木実は菓子であり、もはや植物の印象すら乏しい。
関西人は白飯と一緒に、お好み焼き・焼きそば・
自分でギターを弾きドラムを叩くことで楽曲に対する理解が深まった。絵を描くことで美術の観賞が豊かになった。ならば自分で料理をすれば舌も肥えるだろうと思うのだが、やる気はない。
食通や料理人に男が多いのは、数学者に男が多いのに似て積年の謎である。