- Diary 2013/03

2013/03/31/Sun.

留学前の二週間は実家で過ごした。父方の祖母が骨折で入院しているため、祖父が我家で寝泊まりしており、よく話すことができた。祖父母四名はいずれも八十歳を超えて存命だが、平均寿命や個々の健康状態を勘案すると、私が留学中に彼らが死亡する確率はそれなりに高い。縁起でもない——といってこの可能性を退けるのは単なる思考停止であり、最善な選択の抛棄であると私は思う。

三月十六日(土)。大阪、絵画教室最終回。

三月十七日(日)。神戸、妻、義母。亡義父に参霊、中華料理。

三月十九日(火)。大阪、室長、秘書女史。酒。

三月二十三日(土)。母の携帯電話を iPhone 5 に変更。悪くはないが、物理キーが三つある Android のほうが素直で使いやすい。ボタンが一つじゃないと混乱してしまうというのは、さすがに人間をナメ過ぎではないか。また、くだらないサービスを勝手に押付けて小銭を稼ごうとする通信事業各社も客を馬鹿にしていて不愉快である。

三月二十五日(月)。地獄のごとく散らかっていた実家から湧き出た膨大なガラクタを業者に処分してもらう。割れ窓の理論ではないが、不快な空間は必ずや心身に悪影響を及ぼす。サプリメントを摂取してプラセボ効果を期待するくらいなら、掃除でもしたほうが安価で実効性がある。清掃後の部屋は「目に見えて」美しくなるからである。

三月二十六日(火)。叔父一家、焼鳥。従妹は四月から大学生となり看護師を目指す。彼女がまだ幼い頃に私は実家を離れ、これまで話す機会も少なかったが、職業上の接点が出てきて会話が俄然面白くなってきた。しっかり頑張って国家試験に合格してほしい——とは誰もが思うことだが、医療の仕事はそれからが大変である。彼女がどう受取るかはともかく、一生勉強なのだという事実くらいは、私が身をもって体現しなければならない。

三月二十七日(水)。京都、ボスらに挨拶、豆腐料理。推薦状を書いてくれたボスに報いる唯一の方法は、私が米国で論文を書くことであろう。

三月三十日(土)。妻来訪。私は単身留学し、彼女は追って冬頃に渡米する。父母と懐石料理。

三月三十一日(日)。伊丹、妻と最後の晩餐、フランス料理。

2013/03/16/Sat.

絵画教室四十六回目。一枚目の鉛筆画の六回目。モチーフは道具袋(の写真)。

前回までにほとんど仕上がっていたので、今日は細部を描き込み、陰影にメリハリを付け、最後に全体の調子を整えて完成とした。良い出来栄えのような気がする一方、不満が残るような感じもある。自分の絵を客観的に視ることは難しく、その困難は文章におけるそれともまた少し異なる。

四月に渡米するので、絵画教室に行くのは今回が最後である。二十三ヶ月、四十六回、九十八時間で多くのことを学んだが、悲願の油絵に手を付けるには至らなかった。残念だが、これからも絵を続ける動機の一つにはなる。

夜はうどんすきで晩餐。

関連

過去の絵画教室

2013/03/13/Wed.

明日、大阪の部屋を引払って実家に戻る。次回の更新は四月一日の渡米以降。

2013/03/11/Mon.

留学助成の贈呈式に出席した。一〇〇〇、新大阪。一三〇〇、東京。一五〇〇より贈呈式、受賞者講演、写真撮影、懇親会。大阪の研究所の M 先生が研究費を、京都の小児科の先生(初対面)が留学助成を受けられており、歓談の相手に事欠かず楽であった。二〇〇〇、東京。二三〇〇、帰宅。

2013/03/10/Sun.

ドルには弗の字を当てる。dollarではなく字面$が似ているからである。大変面白いが、類似の例を他に知らない。

メートルには米の字を当てるが、米国で広く使われるのはヤード系である。翻って科学では、ヤード、ポンド、華氏などを用いない。英米の研究者にはストレスだろうが、日本人が英語を強いられる苦痛に比べれば大したことではない。

話を変える。

慎重な記述が続く大岡昇平『レイテ戦記』にも旧日本軍という言葉が現れる。これが奇妙な語であることを指摘したのは誰だったか。発言者は忘れたが内容は覚えているので下に要約する。

旧-日本軍と解釈するとどうなるか。日本国憲法は第九条で「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない」と謳っている。自衛隊も軍ではないとされる。新軍がないのに旧軍というのはおかしい。そもそも日本軍はかつて一度しか存在したことがないのだから、新も旧もない。そこで旧日本-軍と考えてみる。これは大日本帝国と日本国が断絶していることを意味する。しかし昭和天皇が天皇であり続けた一事を見ても、この仮定はあまりにも無理がある。いずれにせよ辻褄が合わない。

以下は私の説である。自衛隊は英語で Japan Self-Defense Forces という。Force は軍である。自衛隊の創設には米国が深く関与している。折衝の席では、新設される new Forces と解体された old/former Forces の比較が何度もなされただろう。すなわち旧日本軍は訳語ではないのか。天皇制という言葉もコミンテルンの用語の翻訳である。旧軍もその可能性は充分にあると思う。

2013/03/08/Fri.

珍しく経済の話を書く。円相場についてである。

留学助成の内定が出た昨年十一月には一ドル八十円だったが、今日は九十五円だという。助成金は円で頂き、留学先ではドルを使うから、事実上の助成額は二割減という計算になる。転職も間近になってから「やっぱり年収は約束の八割で」と告げられたも同然で、これでは誰でも目算が狂う。幸い私には何の目算もなかったので、まさか餓えはせぬだろうという茫洋とした想いしか湧いてこない。

金銭のことは考えるだけ無駄である、という気持ちが私には強い。精確にいうなら、原理的に予測不可能な経済という事象に科学的な興味が湧かない。一言でいえば無関心である。関心があればそもそも科学者にはなっていない。

実家に引越す準備をしている。

今日は長らく手元に置いてきた学術誌・学会誌の類を処分した。こと書籍に関しては、金銭や時間よりも空間が枷となることが多い。もっとも、空間は金銭で工面できる。私が雑誌を廃棄するのは私に財力がないからともいえる。やはり経済にも関心を持つべきだろうか。

2013/03/06/Wed.

丸谷才一『文章読本』を読了。こんな本を読むと、自分の文章が気になって仕方がない。

それと関連した記憶を一つ書き留めておく。

米国に留学することを決めてまず思ったのは、日記で<米国>について書く機会が増えるだろうということである。問題は、これから留学する国、すなわち米国、アメリカ合衆国、USA などの文字列で表現されるこの国を、どう記すかである。

これらの理由で、私は<米国>を「米国」と書くことにした。「米国」は字数も音も短く、私が留学する国と一対一の関係にある。米国人、米国政府、日米などの熟語に派生させることができ、一貫した多様な表記が可能である。欠点は略語であることだが、これは無視しても良いだろう。

「米国」は文化的・歴史的な意味も含む。「日本人にとっての米国」という意味である。このニュアンスは「アメリカ合衆国」にはない。「米国」に相当する唯一の外国語は中国の「美国」だろうが、幸いにも字が違う。

「米国」は、日本人である私が実際に見聞する米国を記すのに都合の良い言葉なのである。

反省

留学決定以降、米国の表記には気を遣っていたが、日記を検索すると二件の「アメリカ」が出てきた。

ステロイドや成長ホルモンを打つと筋骨隆々になれる。だからアメリカ人は打つ。あまりにも単純だ。

「『アメリカは今日もステロイドを打つ USAスポーツ狂想曲』町山智浩」

書名の『アメリカは〜』に引きずられたのだと思われる。もう一つは、ごく最近の日記である。

アメリカ人が盛んに世界史を書くのは、イギリス人がローマ史を、日本人が中国史を書くのと似た理由からではないか。

「ノアは方舟に魚を積んだか」

ここでも「アメリカ人」と書いてしまっている。「アメリカ人」という言葉は、建国以前の先住民を含み得る。歴史の話題を記す際には特に注意を要するのに、思慮不足であった。

余談

網野善彦が言うには、「縄文時代の日本」という表現はおかしい、まだ日本という国号が存在していないからである。この理屈を敷衍すると、独立宣言(一七七六年)からペリー来航(一八四九年)まで、「米国」はほぼ存在しなかったことになる。

同様に、私の用語法を厳守すれば、「ロシア人にとっての米国」という記述も成立しなくなる。

しかしそれではあまりにも融通が効かない。単純に、"The United Sates of America" の翻訳である「アメリカ合衆国」の短縮語として「米国」を使う、という規則で今は充分だろう。それに、特別の効果を求める場合は例外もあり得る。

2013/03/05/Tue.

食品売場で思い浮かんだり、食事中に考えたりしたことを雑多に書く。

魚介は魚貝と書くのがわかり良いと長らく思っていた。辞書によれば、介という字は甲を持つ生物を指すらしい。蛸や海月くらげは介ではないようである。海産物という括りもあるが、それでは鮎の居場所がない。鰻などの回遊魚も怪しくなる。となれば水産物というしかない。鯨肉は魚ではなく肉売場に置くべきだが、水産物にするのなら理解もできる。

白身の赤鯛は、その色彩から己があずかり知らぬところで瑞魚とされ、大いに食される羽目に陥った。茹でると赤くなる海老や蟹も同じ理由で乱獲された。肝心なのは、彼らは見栄えが良いばかりでなく実に美味いということである。家畜のように品種改良されたわけでもないのにと感心する。まるで人間のために生まれてきたかのようである。

黒毛和牛というが、どうせ肉しか食べないのだから毛色は関係なかろうといつも思う。

鶏肉の卵とじ、鮭とイクラの取合わせを親子と名付けた人間は、いささか性格が悪い。

自然薯というように、自然をシゼンとむのは不自然である。しかし自分の職業がジネン科学者となるのは少し心地が悪い。

自然薯も昆布も植物だが全く別の売場にある。同じ昆布でも、乾燥させたものは乾物、それに塩をまぶしたものは菓子の売場に並んでいる。

植物食品の分類は恣意的で混乱が著しい。主に食する部位によって野菜・果物・穀物と呼び分けられるが、とにかく例外が多い。瓜の一味は野菜から果物にまで蔓延はびこっている。一方で、葉・茎・根が食用となる全ての植物、さらに菌類である茸までもが野菜という枠にひしめいている。

豆は華僑のごとく店舗のあらゆる場所に現れる。野菜売場はもちろんのこと、豆腐・納豆・油揚は豆製品という独自の王国を築き、乾燥豆は乾物や菓子、そのまた一部は酒肴として売られる。野菜や果物の絞り汁とは異なり、豆のそれはなぜか乳と見做みなされ、動物食品と同じ棚に陳列される。

豆腐に醤油をかけるのは、飯を米酢でえたり、牛肉を牛乳で煮込むようなものか。ところで、胡麻豆腐や卵豆腐みたく、醤油と山葵わさびが練込んである豆腐があったらさぞ横着ができるのにと思う。

種子の一族はそれぞれ隔離されている、稲は米、黍は野菜、麦は粉・麺・パン、木実は菓子であり、もはや植物の印象すら乏しい。

関西人は白飯と一緒に、お好み焼き・焼きそば・饂飩うどんなどを摂る。お好み焼きと焼きそばを一緒にしたモダン焼き、焼きそばに飯を加えたそば飯というものもある。これを知った地方の人は「炭水化物ばかりじゃないか」と嗤う。しかし彼らも、拉麺ラーメンと焼き飯の定食、蕎麦寿司、焼きそばパンなどは食べる。

自分でギターを弾きドラムを叩くことで楽曲に対する理解が深まった。絵を描くことで美術の観賞が豊かになった。ならば自分で料理をすれば舌も肥えるだろうと思うのだが、やる気はない。

食通や料理人に男が多いのは、数学者に男が多いのに似て積年の謎である。

2013/03/02/Sat.

絵画教室四十五回目。一枚目の鉛筆画の五回目。モチーフは道具袋(の写真)。

円筒形のボトルにレタリングを施す。小さな文字もあったが、湾曲した面に上手く描くことができた。

夜はイタリア料理屋で晩餐。

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過去の絵画教室