- Book Review 2008/05

2008/05/31/Sat.

竹内薫・訳。副題に「誕生 (ビッグバン) から終焉 (ヒートデス) までの銀河の歴史」とある。原題は "The Five Ages of the Universe"。

副題はいささか正確ではない。本書は、銀河ではなく宇宙の歴史である。その長い道程において、銀河すら跡形もなく消滅するからだ。

宇宙の観測とは専ら過去の探究である。地球に届く様々な波長の粒子は、何億年、何十億年とかけて気の遠くなるような距離を旅してきた。地球から見る景色は全て過去のものである。WMAP の結果 (宇宙背景放射の詳細な全天観測) によって、宇宙が 137憶年前に生まれたこと、宇宙は今なお加速しながら膨張し続けていることなどがわかってきた (これら最新の知見については、アミール・D・アクゼル『相対論がもたらした時空の奇妙な幾何学』に詳しい) のは、ようやく 21世紀になってからだ。それでもなお、宇宙の「未来」がどうなるのかは予測の域を出ない。

本書の原著出版は 1999年だが、当時の最新の知見を駆使し、宇宙の誕生から終焉までを、次の 5つの時代に分けて叙述する。

  1. 原始の時代 (宇宙年 -50 < n < 5)
  2. 星たちが輝く時代 (宇宙年 6 < n < 14)
  3. 縮退の時代 (宇宙年 15 < n < 39)
  4. ブラックホールの時代 (宇宙年 40 < n < 100)
  5. 暗黒の時代 (宇宙年 n > 101)

本書では「宇宙年」というユニークな時間単位が用いられる。第n宇宙年 = 10n 年という定義である。現在の宇宙の年齢は 1.37 × 1010年、つまり第10宇宙年である。本書で扱われている時間的範囲の巨大さ (という言葉すら空しくなるが) に、まずは驚く。

原始の時代

宇宙がビッグバンから始まったことは定説になっているし、ほぼ間違いない。その直後、宇宙は超光速で膨張する。インフレーションだ。このインフレーション理論というものが、これまで俺にはよくわからなかった。宇宙が爆発から始まる、というのは物理の素養がなくとも直感的に理解できる。しかし、何故その後のインフレーションが必要なのか。

宇宙背景放射を観測する時、私たちは、実は宇宙が三十万年くらいだった時の「過去」を振り返って見ているのだ。背景放射は、その時期に、最後に物質と相互作用した (放射と物質の最後の「密会」)。それ以来、いま見られる背景の光子は、宇宙を自由に飛び回りつづけてきた。因果的につながっている境界を定める光速球面の大きさは、宇宙背景放射が放出された時には、直系がわずか三十万光年くらいだった。爾来、宇宙は膨張を続けてきたので、この領域は、今や約三億年の大きさにまで拡がった。さて、私たちが、空の正反対の方向を見比べながら宇宙背景放射を観測する時、いま観測可能な宇宙全体の大きさ、つまり二百億光年以上の距離によって隔てられた領域を、私たちはサンプリングしていることになる。この距離は、因果的につながっているはずの領域 (三億光年!) より、遥かに大きい。にもかかわらず、宇宙背景放射の観測された温度は実質的に全く同じで、十万分の一程度の差しかない。虚心坦懐に考えてみても、なぜ完全に接触の範囲外にある領域の温度がきわめて一様なのか、思い当たる節がないのだ。このジレンマが地平線問題なのだ。

(第1章「原始の時代」)

この地平線問題は、宇宙が実際にインフレーション、つまり超光速で膨張したのであれば解決する。「因果律を保つためにはインフレーションが必要」ということがわかり、俺は長年の疑問から開放された。

インフレーションが起こる物理的機序は今なお不明な部分が多い。それでもインフレーション理論が定説になっているのは、

  1. インフレーションを考えないと、宇宙の大きさと年齢について、理論と計算の間で矛盾が起こる。
  2. インフレーションを考えないと、宇宙の因果律が保てない。

からである。インフレーションを否定すると、天文物理学は土台から修正を迫られる (これは非現実的な課題だ) し、因果律を保とうとすれば極端な偶然 (宇宙背景放射は「たまたま」一様になった) を認めなければならない。

星たちが輝く時代

宇宙空間の中で塵が集まりだし、星が生まれる。巨大な星 (いわゆる恒星) は核融合を繰り返し、宇宙に様々な元素を誕生させた。恒星が生まれる過程で、その周辺に惑星ができ、ある種の条件を満たした惑星には生命が誕生する (条件が整えば、生命は偶然によってではなく半ば必然的に誕生するだろうという理論は、スチュアート・カウフマン『自己組織化と進化の論理 宇宙を貫く複雑系の法則』に詳しい)。

しかしほどなく星々は死を迎える。その重量によって、星の最期は様々だ。太陽の 0.5〜8倍の重さの恒星は白色矮星になり、それより重いと、中性子星になるかブラックホールになるか超新星爆発を起こして木端微塵となる。重い星ほど寿命が短い。太陽より充分に小さい赤色矮星 (太陽質量の 8%〜) は細々と輝き続けるが、それでも数兆年で燃え尽きる。数兆年というと大きな数字のように思えるが、宇宙年換算では第13宇宙年である。

縮退の時代

いわゆる恒星が全て燃え尽きた後、宇宙に残るのは褐色矮星 (恒星になれなかった星)、白色矮星、中性子星、ブラックホールのみとなる。

この頃になると銀河どうしが重力によって引かれ合い衝突を始めるようになる。例えば、我々の天の川銀河は隣のアンドロメダ銀河と重力的に結び付いている。銀河の衝突は現在でも確認できるが、充分に時間の経ったこの時代ではより頻繁に発生する (元々重力的に相互作用していた銀河がようやく衝突するまでに近付くほどの時間が経過した、というべきか)。

星々の間は充分に離れているから、銀河どうしが衝突しても星が直接ぶつかり合うということは稀だ。しかし星々の軌道は乱され、星は銀河という集団から散逸していく。

第32宇宙年頃になると陽子が崩壊し始め、我々の日常的な意味での「物質」を形成するバリオンは陽電子や光子へと姿を変えていく。第40宇宙年にはブラックホールを除き、宇宙には光子、ニュートリノ、陽電子、電子の放射線しか残っていない。しかもこの放射線の波長は 1 km、つまり極めて低エネルギーである。

ブラックホールの時代

ブラックホールもホーキング放射によってゆっくりと蒸発していく。銀河の中心にあると思われる、大質量 (太陽の百万倍) のブラックホールでさえ、第83宇宙年には消滅する。

宇宙の歴史において、熱力学 (エントロピー拡大の法則) と重力は常に戦ってきた。星が死ぬとき、熱力学が勝利すれば爆発が起こり、重力が勝てばブラックホールになる。しかし第100宇宙年という最終的な段階においては、全ての重力的結び付きはエントロピー拡大則に敗れ去る。

暗黒の時代

この長い歴史の間、宇宙は常に膨張し続けてきた。第100宇宙年の頃、陽電子の密度は 1個/10272 m3 となる。現在の観測可能な宇宙の大きさが 1078 m3 というのだから、想像することすら至難である。ただただ数字に圧倒されるしかない。

総評

駆け足で宇宙の歴史を辿ってきたが、本書には他にも様々なエピソードがちりばめられている。コペルニクスの時間原理、地球外生命体の可能性、銀河を植民地にする生命体が存在するとどうなるか、ブラックホールと相対性理論、直径が今の宇宙よりも大きいポジトロニウム原子、ビッグクランチが起こるとどうなるか、真空エネルギーとトンネル効果による相転移、それを用いたテロリズムの可能性、ワームホールを用いた地平線をまたぐ通信、新しい宇宙は生まれるのか、宇宙のダーウィン的進化。などなどなど。脇道が面白いので退屈することはない。

しかし何よりも、数字を出されているのに想像することすらできない圧倒的なスケール、科学的な知見に基づいた推測でありながら波乱万丈の物語でもある、という点が実にユニークである。

個人的に可笑しかったのが、著者らが、どの宇宙時代においてもしつこく生命体の存在可能性を検討していることである。『自己組織化と進化の論理』を読んだときにも思ったが、ある種の西洋人は、宇宙に生命が存在すること、それが必然的であり意味を持つということが保証されないと、どうも不安神経症的になるらしい。

巻末には豊富な資料と辞典、注釈が付されている。

2008/05/30/Fri.

米沢富美子・監訳。副題に「宇宙を貫く複雑系の法則」とある。原題は "At Home in the Universe"、副題は 'The Search for Laws of Self-organization and Complexity'。

著者のカウフマンがサンタフェ研究所で行ったカオスや複雑系の研究については、ジェイムズ・グリック『カオス 新しい科学をつくる』や、M・M・ワールドロップ『複雑系 科学革命の震源地・サンタフェ研究所の天才たち』に詳しい。前書にカウフマンは直接登場しないが、アトラクターなど本書で扱われる重要な概念が平易に説明されているので一読をお奨めする。

本書のテーマは次の 2点である。

冒頭の章では、カウフマンの哲学が語られているのが興味深い。

うたかたの活動、複雑さ、そして強い普遍性はどこから来るのか。この問いこそ、われわれのまわりに存在する「秩序立った複雑さの創発」を理解するための探究にほかならない。(中略) 宇宙が進化するのは、究極的には、宇宙が平衡状態にないことの自然な現れではないのか。(中略) 非平衡状態において物質とエネルギーが結合したことの自然な帰結として、われわれは存在しているのかもしれない。多数の生命は生じるべくして生じたのかもしれない。まったくありそうもない偶然の結果なのではなく、当然生じるべき自然な秩序の実現として、生じたのかもしれない。これらのことが示されれば——ただし、まだその方法はわからないが——、そのとき、われわれは、宇宙の中における自分たちのほんとうの居場所を見つけることができるであろう。

(第1章「宇宙に浮かぶわが家で」)

本書で述べられる理論は多様多彩で要約するのが難しい。以下に、覚書程度のキーワードを列挙する。日記に書いたメモは「無償の秩序」を参照。

2008/05/29/Thu.

文庫版『ゴルゴ13』第112巻。

第384話『新法王の条件』

どうでも良い話だが、ローマ「法皇」と書かずに「法王」と書くのは天皇問題が関係しているのか。でも「教皇」っていう言葉もあるしなあ。

前法王・第264代ローマ法王ヨハネ・パウロ二世の暗殺未遂事件は有名である。歴代法王の何人かは現実に暗殺されているし、暗殺が囁かれる怪死というのも何件か存在する。世界に巨大な影響を与えるバチカンの主、ローマ法王は、常に暗殺の危険に晒されている。

旧KGB の狙撃手であるユーリー・ゴルスキーは、次期ローマ法王の有力候補者の暗殺を依頼される。一方、その情報を手にしたバチカンは、ゴルゴ13 に暗殺の阻止を依頼する。ゴルスキーはゴルゴと因縁があり、それはヨハネ・パウロ二世の暗殺未遂事件と関係している。ヨハネ・パウロ二世はポーランド人であり、この共産圏から来たローマ法王は東欧諸国に対して絶大な影響力を持っていた。ソ連が崩壊した要因の一つにヨハネ・パウロ二世の存在を挙げるのはもはや常識的だが、そのあたりの世界情勢と、ゴルスキー個人の物語が上手く描写されている。

ゴルゴ動くの情報を得たゴルスキーは超遠距離射撃によって計画を達成しようと試みる。これを阻止せんとするゴルゴの策は——、という話。

増刊57話『総統の揺りかご』

ヒトラーのクローンを作成せんとするネオナチの狂信者の研究施設を破壊してほしいという依頼がゴルゴになされる。

「ゴルゴ13」にはこの種のエピソードが多い。毛沢東のクローンを創ったバカもいたし、人間を液体窒素で保存して未来に復活させようとする会社もあった。いかんせん話の筋が荒唐無稽であり、大体において凡作となる傾向が強く、本エピソードの出来も今一つ。

見所は、回っている換気扇の羽に当たらぬように弾丸を通過させるゴルゴか。

ゴルゴ「直径三〇センチの換気扇の羽が、一秒に二回転……羽の隙間は十度、外周部を狙った場合にブレット (弾頭) が占める幅は二度。一二〇分の一秒の間に、厚さ五センチの羽を長径一・二センチのブレットが通過し終えればいい。秒速七・五メートル以上の速度があれば狙撃が可能ということか……」

ズキュ——ン

(増刊57話『総統の揺りかご』)

「ズキュ——ン」じゃねえよ。

第385話『シャーロッキアン』

人間の愛憎ドラマを主題にしたエピソード。

英国貴族のサー・フレッド・バーンウェルは、過去に友人を偽装事故死させんとして、ゴルゴに依頼したことがある。バーンウェルの奸計とゴルゴの狙撃によってライヘンバッハの滝壷 (ホームズとモリアティー教授が落ちたとされる滝) に落とされたディック・ターナーは、しかし奇跡的に命を取り留めた。事故のショックで記憶を失ったターナーだったが、十数年後にひょんなことから記憶が復活し、バーンウェルへの復讐をゴルゴに依頼する (ターナーは事故がゴルゴの狙撃によって起こされたものだとは知らない)。

ゴルゴは何も語らず粛々と依頼をこなすが、バーンウェルとターナーの 2人がゴルゴと関係していることを知る女性が存在した。彼女は、彼女を含めた 3人の愛憎ドラマに終止符を打つためにゴルゴに依頼する——。

要所要所でホームズ譚に関わる小物やエピソードが登場し、物語に彩りを添える。2ヶ所の高層建築物内で行われるゴルゴの狙撃も、それぞれなかなか凝っており、彼の活躍が楽しめる。国際情勢や最新情報、歴史の裏話などはないが、人間ドラマに主軸を置いたこのような物語もまた、典型的なゴルゴ譚の型の一つである。

増刊58話『一年半の蝶』

蝶マニアのターゲットをおびき寄せるために、世にも珍しい蝶を手に入れるところから仕事を始めるゴルゴ。このような「ゴルゴの舞台裏」エピソードでは、彼の用意周到さや非凡な着想が明らかにされるのが常だが、このエピソードは今一つ。

そもそも、「蝶を使用する」ということにそこまでの必然性が見出せないのだ。珍しい蝶についての蘊蓄はあるが、素材が生かせ切れていない印象が強い。

2008/05/28/Wed.

『ジョジョの奇妙な冒険 40 ストーンオーシャン 1』の続き。

脱獄目前にまで辿り着いた徐倫と承太郎だが、「敵」の攻撃によって承太郎が戦闘不能に陥る。構わず脱獄しろと承太郎は諭すが、徐倫はそれを放棄して刑務所に残る決意をする。「敵」は刑務所の中に姿を消したからだ。承太郎を復活させるには「敵」を叩くしかない。

スタンド名——『ホワイトスネイク』
本体——?

破壊力——?
スピード——D
射程距離——?
持続力——A
精密動作性——?
成長性——?

能力——相手が眠っているうちに、その人間の「心」を溶かし『DISC』にして取り出してしまう。DISC は「スタンド」と「記憶」の 2枚にして利用する。「心」を抜き取られた人間は精神力がなくなるので、死ぬか、延命技術があれば仮死状態となる。現時点では本体やその目的は不明。

この「敵」は何者なのか。刑務所に隠れ住む奇妙な少年や、徐倫と同期 (?) の囚人であるエルメェス・コステロによって少しずつ明らかになってくるが、全貌はいまだ不明である。

偶然からスタンド能力を発現したエルメェスは「敵」からの攻撃を受け、徐倫との共闘を決意する。2人が協力して『DISC』の捜索を始めたところで、またもや敵スタンドが襲ってくる。

スタンド名——『キッス』
本体——エルメェス・コステロ

破壊力——A
スピード——A
射程距離——A
持続力——A
精密動作性——C
成長性——A

能力——拳から出る「シール」を貼ると物体が 2つになる。その「シール」をはがすと 2つの物体は、ひとつに戻るが、その際、破壊がおきる。

さて、第6部を語る上で避けて通れない問題は荒木飛呂彦先生の女性描写である。荒木が定期的かつ意識的に画風を変えることはよく知られている。

第1部のエリナや第2部のリサリサ先生は正統派の美女である。原哲夫や北条司のようなタッチで、当時はこのような画風が流行っていたのだろう (主人公の眉毛が太いのは原哲夫の影響であることを荒木自身が語っている)。第3部には若い女性の登場人物が少ないのだが、このあたりから荒木独特の画風というものが確立されていく。第4部の辻彩はまだ万人向けだが、山岸由佳子になるとその容貌に対する賛否が分かれてくる (俺は可愛いと思うが)。第5部になると漫画そのものの構図がますます複雑になり、コマ当たりの情報も増えてくる。ドッピオが『キング・クリムゾン・エピタフ』で未来を予知しながらリゾットと戦うエピソードは圧巻だ。同時に、実験的ともいえるカメラワークに、キャラクター達は容赦のない圧縮や歪曲に晒される。第5部のヒロイン、トリッシュは基本的に愛らしい風貌をしているのだが、ときに物凄い形相になって画面を跳躍する。

第6部では徐倫がシリーズ初の女性主人公として登場する。ジョースター家直系の強靭な精神力を体現するため、引き締まり過ぎともいえる身体に精悍な面持ちを備えている。同時に女性らしさを表現するためか、妙に肌の露出が高い。このような女性が顔を歪ませながら「ちくしょおおおおお……… てめえ こ…この痛み…… そしてこのムカツキ…… てめー… よくも…」と悪態を垂れるのだから 好きな人には堪らない 好き嫌いが別れるのではないか。まァ、荒木ファンには今更のことであるが。

誰が言ったのか忘れたが、「『ゴールド・エクスペリエンス』と『ストーン・フリー』に瞳を入れなかったのは荒木の失敗」という評は正鵠を射ていると思う。ジョジョのスタンドにはやはり、それが泥臭くても瞳を入れるべきであった。『ゴールド・エクスペリエンス』が、その圧倒的な能力にも関わらず、類似の力を持つ『クレイジー・ダイヤモンド』より不人気なのは、ジョースター家を象徴する強い瞳がなかったからだ、という説明は説得力がある (ジョルノの父であるディオのスタンド『ザ・ワールド』にも瞳が入っている)。

本書で『ストーン・フリー』と『スター・プラチナ』が共に戦う場面があるが、やっぱり『スター・プラチナ』の印象が強過ぎて、『ストーン・フリー』のデザインはよく思い出せない。