- Book Review 2006/01

2006/01/21/Sat.

男の中の男、北方謙三先生が「ホットドッグ・プレス」で連載された、『青春人生相談「試みの地平線」』から名問答を集めた傑作集。「伝説の人生相談」とまで評された数々の名言が、小僧どもの胸を熱く突く。小僧を卒業した男たち、そして女性にも読んでほしい一冊。

地平線とは

冒頭の「はじめに」からアツい。「これからの時代、男にとって大事なものはなんなのか」という北方先生の問い掛けから始まる。「なあ、小僧ども」「女など、うるさい時は張り倒せ」などなど、引用したい部分が多過ぎる。たった五ページなのに。とりあえず、タイトルに関する箇所だけ紹介する。

地平線というやつは、いつだって同じ遠さで、どこまでも人の前にある。まして、心に抱いた地平線はな。

(「はじめに」)

さあ、小僧ども、姿勢を正して本書を読もうじゃないか。

小僧ども、よく聞け

それにしても紹介したい問答が多過ぎる。涙を飲んで、少しだけ。

「僕はいまだに童貞の17歳の学生です。(略)どうすればスムーズにできるか、教えて下さい」

北方謙三先生ソープランドに行け

「なかなかキスまでいくことができません。(略)どうしたらキスまでもっていけますか?」

北方謙三先生『俺は経験がない。してみないか?』とストレートに訊いてみる」

「はっきりいって俺はもてません。(略)俺には何が欠けてると思いますか?」

北方謙三先生頭の中身が欠けている

「私の悩みは非常にペニスが小さいことです。(略)ご意見を聞かせて下さい」

北方謙三先生ソープに行け

「最近、8ヶ月続いた彼女と別れました。(略)一度とぎれた女のコと再び交際するのは無理なのでしょうか」

北方謙三先生諦めろ

「私の悩みは、口臭と体臭がとてもひどいことです。(略)どうか先生の意見を聞かせて下さい。お願いします」

北方謙三先生「越前に永平寺という禅寺がある。そこに行って、三年間修業してこい。(略)とりあえず、ソープに行ってみろ

「童貞である僕は、北方先生の助言通り、ソープに行きました。しかし、僕のアソコは立ちませんでした」

北方謙三先生「二、三回行ってダメだったら、四回、五回と行く

「ソープランドの女の子を好きになってしまいました」

北方謙三先生「俺自身はソープランドに行ったことがない(略)」

悩んだらソープに行く! 北方先生との約束だ。

いつでも北方先生からお話が伺えるように、「北方謙三先生に質問」というプログラムを組んでみた。北方先生を患わせる前に、一度ここで悩みを打ち明けてほしい。きっと何かが変わるはずだ。

2006/01/20/Fri.

『麻雀放浪記(一)青春編』の続編。

ポン中毒にまで墜ちた「私」(坊や哲) は、勝負の席でクスリが切れ、粗相を犯して叩き出される。その場の落とし前をつけてくれたステテコこと小道岩吉のサクラとなった哲は、シケた商売をしながら東海道を渡り歩く。そんなときに出会ったのが、クソ丸にドテ子というフザけた名前の坊主と娘だった。

風雲編

坊主でありながら、クソ丸は玄人筋の賭人。ドテ子も天性の勘が鋭い博打娘だった。この 2人が、大阪行きの夜汽車に乗るという。実はこの列車、ある客車が貸し切りとなっており、その中で夜通し博打が打たれているという。哲は、一も二もなく乗り込んだ。

大阪で降りた彼はそのまま雀荘へ。当時、西日本を席巻していたのは、関東とは異なるルールのブウ麻雀。慣れないルールと裏芸、コンビ麻雀や、そして何よりも大阪という土地の厳しさに叩かれる哲だが、次第に対抗策を練り、ドテ子とともに逆襲を始める。懐かしい人との再開や、ブウ打ちとの交流を通じ、彼の麻雀もコクを増してくる。

そんなとき、京都に博打寺があり、大きいレートの場が立っているという噂を耳にする。寺を喰い物にしてやろうと、哲、大阪のブウ打ち、その他の玄人らが続々と寺に集まってきた。寺側も坊主を総動員して迎撃する。この一大決戦はとんでもない結末を迎えるが、それがどのようなものかは実際に読んで頂きたい。

前作に劣らぬ面白さで、脂の乗った哲とともにスピード感溢れる展開を楽しめる。クソ丸、ドテ子という脇役も良い (これは全てのシリーズを通してそうだが)。続編としては完璧なできである。

2006/01/19/Thu.

『阿佐田哲也麻雀小説自選集』に収録されていた本作を再読してしまったがため、結局は全巻を通じて読破してしまった。「戦後の大衆文学の、最大の収穫」(畑正憲「青春編」解説) という評価は大袈裟でも何でもないと思う。「青春編」「風雲編」「激闘編」「番外編」と、今日から 4作連続で御紹介する。

青春編

昭和20年 10月。終戦直後の東京は一面の焼け野原で、人々は脱力感と虚無感に捕らわれながら、一方では奇妙な高揚感と熱気を合わせ持っていた。両者が端的に噴出する場、それが博打。中学を卒業したばかりの「私」(坊や哲) が上野のチンチロ部落に姿を現したのは、そんな頃だった。

誰もが飢えており、喰われたところで助けはなく、むしろ喰われる奴が悪い。だから喰う方に回る。それがバイ人の唯一の倫理であった。勝てるだけ勝つ、負ければ逃げる。そのためには手段を選ばない。いかさまは当然。騙される方が馬鹿なのだ。逆に、敵の牙に斃れることもある。だからといって生きることをやめるわけにはいかない。彼らは闇成金や米軍兵をカモに、危ない橋を危ないとも思わず駆け抜けた。

しかしもちろん、彼らの法は彼らにしか通じない。いくら復興期のどさくさであったとはいえ、彼らはアウトサイダーに過ぎなかった。だが、その事実が彼らの矜持でもあった。チン六、上州虎、女衒の達、出目徳、そしてドサ健。いずれも一筋縄ではいかない男達が、必然とも思える奇妙な運命に魅かれて邂逅し、認め合い、あるいは結託し、そして互いをコロし合うために牌を握って戦う。

それを愚かな行為と指摘しつつも、彼らに抗えない魅力を感じる女達、八代のママやまゆみなども重厚に描かれている。そこにドラマが生まれ、彼らの戦い方にも微妙な影を落とす。この辺の機微は、読んでみないとわからないとしか言い様がない。

さて、「青春編」の白眉といえば、哲、ドサ健、達、出目徳による最終決戦だろう。もはや伝説的ともいえるその内容は書かないが、このラストを目にするだけでも本書を読む価値はある。本作は「麻雀小説」の枠に留まらない、一流の悪漢小説 (ピカレスク・ロマン) である。

2006/01/14/Sat.

タイトル通りの内容である。収録作は、

の 9編だが、ボリュームとしては圧倒的に『麻雀放浪記』が長い。あとは短編である。「阿佐田哲也」という筆名に関する有名なエピソードも、巻末の「後記」に詳しい。

全ての作品を読破済みであったが、懐かしくなって再読。やはり面白い。麻雀に限らず、俺は一切の博打をしないけれども、それだけに強烈な憧憬もある。しかし実際にやってしまえば、阿佐田哲也の小説を読むような官能は味わえないだろうとも思う (もちろん別の魅力も見えてくるのだろうが)。

博打をやっていないのに面白い。俺は麻雀のルールは理解しているが、全く麻雀を知らない人でも面白いという。焼けつくような痛々しさが全編に溢れる 1冊。

2006/01/13/Fri.

『義経幻殺録』『義経はここにいる』の著作もある井沢元彦の義経本。義経を始め周囲の人物、そして当時の時代性を、96(義経が「九郎」だから、らしい。くだらねえ)の謎に分けて書いている。

目ぼしい情報や新説もなく、暇潰しくらいにはなるかな、という程度。高木彬光『成吉思汗の秘密』で紹介した義経生存伝説は、彼の御霊を鎮魂するための怨霊信仰の産物、という井沢節は健在。絵巻物を中心として、図版は豊富。これはなかなか良い。

2006/01/12/Thu.

高木彬光『古代天皇の秘密』が面白かったので本書も読んでみた。『邪馬台国の秘密』へと続く、名探偵・神津恭介のベッド・ディテクティブ・シリーズ第1弾。

盲腸炎に入院を余儀なくされた神津恭介は暇を持て余していた。彼の友人である作家・松下研三は、<ジョセフィン・ティ『時の娘』に倣い、病床の暇潰しに「何かこの際、日本の歴史を書きかえるような、一大発見」をしてみれば、と神津に提案する。2人が選んだテーマは、「源義経 = 成吉思汗 (ジンギスカン)」の証明であった。

奥州平泉は衣川の戦いで破れた義経は、しかし死んだのではなく、陸奥を海沿いに北上し (北行伝説)、津軽から蝦夷に渡海、樺太に上陸して間宮海峡を渡り、大陸を横断し、モンゴルにて成吉思汗として立ち上がる。このような言い伝えは江戸時代から語られていたが、大正年間に小谷部全一郎『成吉思汗は源義経なり』が発表されるに至り、一大論争へと発展する。以後、周期的にブームが訪れるが、もちろん証明されたことはなく、定説ともなっていない。

実際に義経が成吉思汗であるかどうかはともかく、「義経 = 成吉思汗」という仮定に立って眺めた義経 (成吉思汗) の風景、とでもいうべきものが面白かった。なぜ彼の帝国はあれほど大きいのか、そして「成吉思汗」という名前に託された彼の想いとは何か。そこに 1人の男の人生が鮮やかに浮かび上がる。義経北行伝説を彩る椿山伝説 (義経の落とし胤という娘と、土地の男の心中伝説) と合わせ、本書の後段は推理ゲームの域を飛び越える。

説の弱点を探すのではなく、純粋に小説として読みたい 1冊。

2006/01/10/Tue.

『成吉思汗の秘密』『邪馬台国の秘密』に続く、名探偵・神津恭介のベッド・ディテクティブ・シリーズ第3弾。

本作では欠史八代を始めとする古代天皇の謎を中心に、邪馬台国のその後、神武東征、応神東遷、日本武尊の東征、天孫降臨、国譲り、蝦夷の正体などなど、記紀に記載されながらも資料的には空白とされている古墳時代の謎を、神津恭介が解き明かす。

高木彬光説の信憑性は読者の判断に委ねるが、背景となる記紀の描写や関連文献の引用はしっかりとしている。読み物としても面白い。また、神津恭介の神のごとき叡知を称える文章など、古き良き探偵小説の薫りも微笑交じりに味わえる。

どうでも良い話だが、歴史的な名探偵の多くは頭文字が K である、と勝手に俺は主張している。明智小五郎、金田一耕助、神津恭介、御手洗潔、矢吹駆、香月実朝、京極堂、神戸大助……まァ、あくまで俺の趣味による選出だけれども。名探偵論については、またどこかで書いてみたい。

本書を読んで知ったのだが、神津恭介の血液型は O型である。

2006/01/09/Mon.

島田荘司御大の御手洗もの。文庫で 270頁。島田作品にとってはほとんど短編である。

舞台は、御手洗と石岡が出会って間もない昭和 57年。ロシアの女帝・エカテリーナ 2世より榎本武揚が賜った「セント・ニコラスのダイヤモンドの靴」と呼ばれる歴史的宝物を相続している老女・郁恵。彼女の友人・秀子が、馬車道の彼らの部屋を訪ねた。

郁恵の家は現在落ちぶれており、息子夫婦との仲も悪い。彼女は「セント・ニコラスのダイヤモンドの靴」を、ただ 1人の孫娘に託したいと願っていた。そんな郁恵と秀子が教会のバザーで働いていたその日、にわかに雨が降り出すや、郁恵は血の気を失って倒れ、彼女の息子夫婦は狂ったように花壇の土を掘り返す。その話を聞いた御手洗は一言、「これは大事件ですよ」。

御手洗がいうほどの「大事件」ではないが、なかなかに面白かった。ただ、「セント・ニコラスのダイヤモンドの靴」という大袈裟な設定の必然性は、少なくとも事件に関して、あまりないように思う。お気付きだろうが、本書は『数字錠』や『最後のディナー』と同じ系列、つまり「キヨシのちょっとイイ話」なのである。ダイヤモンドの靴は、ストーリーの最後にキラリと光る。

2006/01/08/Sun.

井沢元彦の対談集。対談相手は、

の 11人 8回。テーマは日本人にとっての宗教から忠臣蔵まで幅広い。対談相手は権威ある学者が比較的多く、井沢はどちらかというと聞き手に回っている。というのも、彼が『逆説の日本史』などで主張している論理の一部は、これら対談相手の主張からヒントを得ているからである。

井沢節のルーツが垣間見える 1冊。

2006/01/07/Sat.

司馬遼太郎と、歴史家・林屋辰三郎による対談。話題は日本史で、特に古代から中世にかけて。日本人はどこから来たのか、日本はいかにして形成されたか、日本文化の源流とは。このあたりが大きなテーマとなっている。

俺が最も感心したのは、「前方後円墳は盾の形である」という話。主に林屋の説による。

そしてこの (仁徳天皇陵の) 前方後円墳というのは、たいへんに対外関係を考えた墳形なのですよ。(中略) あなとは仲よくしますという意味で、武器の盾を伏せた形なんです。(中略) 日本の帝王の陵墓が盾を伏せた姿をしているということは、中国に対して、当時は倭の国王ですから、卑屈な態度にとられては困るのです。だから大きくこしらえて、しかも海岸線に平行して、堂々とこしらえるのです。

日本ではもともと盾は人間がそこに隠れるものですから、人形がいちばんいいのですよ。そして戦争というのは、その盾を交えることで、盾交 (たたか) う。それから盾伏舞があるんです。盾を伏せるのは、戦いを止めることなんです。

古墳をつくってきたのは土師部です。ところが土師部が古墳をつくらなくなって何をはじめたかというと、舞人になった。盾伏舞の伝承者なのです。(中略) 盾伏舞というのは戦争をやめる舞、平和舞です。

証拠はない。が、それだけに斬新な説が、本書には満ち溢れている。