- 『ローマ人の物語 悪名高き皇帝たち』塩野七生

2005/09/10/Sat.『ローマ人の物語 悪名高き皇帝たち』塩野七生


『ローマ人の物語』単行本第VII巻に相当する、文庫版第17〜20巻。『ローマ人の物語 パクス・ロマーナ』の続刊である。

本書では、初代皇帝アウグストゥス以降の皇帝たち、つまり、2代皇帝ティベリウス、3代皇帝カリグラ、4代皇帝クラウディウス、5代皇帝ネロの生涯と業績が描かれている。およそ 1人につき 1分冊という分量。彼らは本当に悪名通りの人間であったのか、塩野の筆はあくまで冷静である。

ティベリウス

神君アウグストゥスから皇位を継いだのは、彼の娘婿であり、長年に渡って帝国の治世を助けてきたティベリウスであった。彼の職責は、アウグストゥスから受け継いだ帝国を盤石にすることであり、彼はそれを完璧にやり通した。言い換えれば、新しく派手なことは何もしなかった。これはよほどの根性がいる作業であるが、他者からは理解されにくい。

不幸なことに、彼は民衆受けする天性のタレントを持たず、またその方面での努力も行わなかった。それでも、ローマ世界の平和は彼の手腕によって保たれていたので、大した問題が勃発することもなかった。ところが、ティベリウスはその治世の最後の 10年、カプリ島に隠遁してしまう。引退ではない。カプリ島から元老院に書簡を送ることによって、帝国全土を支配し続けたのである。言い換えれば、そのような方法が可能になるまでに、ローマの平和は確立されていたのだった。

このような姿勢が元老院と民衆からウケなかったのは当然である。人々は刺激を求めていた。民衆が「平和に倦む」という、現代日本にも通じる状況下でティベリウスは世を去る。毒殺ではないかという噂も流れたようだが、塩野は「老衰による自然死であったと思う」と書いている。

ローマ帝国は、(中略) カエサルが企画し、アウグストゥスが構築し、ティベリウスが盤石にした。

この後に即位したのが若きカリグラである。

カリグラ

「カリグラ」とは「小さな軍靴」という意味の愛称である。彼の父、ゲルマニクスは 3代皇帝の最有力候補であったが、若くして死んでいる。そのため、ゲルマニクスの三男であるカリグラが即位した。彼の愛称は、父ゲルマニクスとともに幼年期を過ごしていた時分、ライン河のローマ軍団が付けたものである。カリグラは、ライン軍団のマスコットであった。

このエピソードが如実に示す通り、カリグラにはティベリウスにはないタレントがあった。その上、若い。皇帝位を継いだとき、彼はまだ 24歳であった。

若い皇帝が行った唯一のことは、人気取りである。彼は民衆に人気のなかった先帝ティベリウスを反面教師としたのだ。皇帝主催の催しが頻繁に、そして莫大な額を浪費して開かれた。結果、ローマ帝国の財政は傾き、放置された外交問題は悪化した。そして彼は暗殺される。即位後、わずか 3年と 10ヶ月であった。

カリグラを暗殺したのは、彼の父ゲルマニクスを敬愛してやまない近衛軍団であったというのだから、いかにカリグラが見放されていたかということがわかる。カリグラを消した軍団が、「インペラトール!」の歓呼を浴びせて皇帝に担ぎ上げたのは、クラウディウスという 50歳の男であった。カリグラの叔父である。

クラウディウス

クラウディウスは若年より身体が弱く、歴史の著述をして日々を送っていた。生い立ちゆえ、戦略にこそ疎かったものの、彼の中で育まれていた歴史意識は、ローマ帝国を維持するのに必要な政治を行う上で非常に有用であった。

クラウディウスの問題は、女性関係である。とはいえ、異様に女性に興味を持っているわけではない。その正反対である。それゆえ、彼の妻達は典型的な「悪女」であり、彼女達を悪女のまま放置してしまったがために、クラウディウスはその評価を落としてしまう。もったいない話である。

しかも、話は「もったいない」では済まされないまでにエスカレートする。情けない夫ではなく、自分の息子を皇帝にしようと考えた妻のアグリッピーナによって、クラウディウスは毒きのこを食わされて殺される (毒殺の真偽は定かではないようだが)。まじめだが浮かばれない男であった。彼の皇位を襲ったのは、アグリッピーナの息子 (連れ子であって、クラウディウスの息子ではない)、ネロである。

ネロ

ネロとカリグラはよく似ている、というのが俺の感想である。人を惹き付ける魅力があり、人がどうすれば喜ぶかも知っている。頭も悪くない。ただ、「皇帝とは何であるか」を理解していなかった、あるいは、理解しようとしなかった。

皇帝になったとき、ネロはまだ 16歳であった。「能力のある成熟した男に国政を一任する」というのが、ローマ皇帝の「建前」であった(塩野はそれを「デリケートなフィクション」と表現する)のだが、もはやその原則も崩れ始めている。逆にいえば、それだけローマ世界が安定している証拠でもあるのだが。

ギリシアかぶれのネロは、ローマにギリシア式の「教養」を根付かせようとしては、様々なことを試みる。オリンピックもどきをローマで開催し、吟遊詩人を真似て皇帝自らが歌う。最初は熱狂した民衆も、しかしいつの間にかそっぽを向くようになる。並行して、ネロの家庭教師であった哲学者のセネカが暇を乞う。

一人になったネロは、東方問題、ユダヤ問題、キリスト教問題で失策を続ける。そしてついに、各地のローマ軍団が反旗を翻す。ローマ史上、かつてない事態である。とうとうネロは、元老院から「国家の敵」と断じられるまでになる。追いつめられたネロは自刃する。これにより、ユリウス・クラウディウス朝は終焉する。

とはいえ、まだまだ帝政は続くのである。以下、続刊。