- 旧国名の話(二)

2014/05/17/Sat.旧国名の話(二)

前後、上下

旧国名に前後が付く場合、京都に近いほうが「前」である。

羽前・羽後は元々、出羽という一つの国であった。越前・越中・越後はよろしいが、実は越前と越中は加賀に分断されており隣接していない。備前・備中・備後、豊前・豊後、筑前・筑後は順当である。肥前・肥後は筑後により隔てられている。

例外もある。陸前・陸中と来て、しかし陸後ではなく陸奥むつである。これは、この三国が元は陸奥みちのくであった事実に由来すると思われる。また、丹後に対して、丹前ではなく丹波という。

前後ではなく上下を使う例として、上野・下野、上総・下総がある。いずれも京都に近いほうが「上」である。

昔は入京のことを上洛といった。東日本で認知されているかは知らぬが、現在でも関西を指して上方かみがたという。主に演芸で生き残っている言葉であり、上方落語、上方お笑い大賞などに見ることができる。

一方で、鉄道は東京方面行きが「上り」とされる。東京に出張した関西人は「下り」列車で上方に帰るわけで、どうも混乱する。また、上総と下総では下総のほうが東京に近く、ここでも逆転現象が見られる。

九州、島

豊前・豊後・筑前・筑後・肥前・肥後に加え、日向・薩摩・大隅の九ヶ国があるので九州という。——のだが、これは対馬と壱岐が九州として認識されていなかったことを意味する。後に、豊前・豊後は大分県、筑前・筑後は福岡県となったが、肥前・肥後は合併されなかった。肥後の熊本県はともかく、肥前がさらに分割されて佐賀県と長崎県になった理由を私は知らない。このとき対馬と壱岐は長崎県に編入され九州の一部となった。

廃藩置県で旧国が小割された他の例は、東京と埼玉に分かれた武蔵しかない。新たに首都となった東京を特別扱いするのは理解しやすいが、同時に佐賀・長崎問題の謎を深めてもいる。

対馬や壱岐に限らず、独立した島々はそれだけで一国であった。佐渡、淡路、隠岐、琉球である。しかし壱岐よりも面積の大きい奄美群島、種子島と屋久島、天草諸島、五島列島は国ではない。

伊豆諸島はその名の通り伊豆に所属していたが、現在は東京都の一部である。

国全体が島である日本では「島」の概念が曖昧になりやすい。普段、我々は北海道を島だとは認識していない。むしろ大地であるとすら思っている。私見であるが、北海道はやはり幾つかの県に分割すべきではなかったか。複数の県による摩擦と競争があったら、北海道はもっと発展していたかもしれぬ。

阿波と安房はどちらもアワとむ。なぜ同じ音を別々の国に当てたのか理解に苦しむが、古代では発音が異なっていたのかもしれない。