- 九月のこと

2013/10/03/Thu.九月のこと

更新を怠っていた一ヶ月余の事柄を記録しておく。

八月九日(金)。申請していた海外学振の選考結果開示。結果は要面接。日本に帰国せねばならぬ。同様に申請していた Dr. NM は面接なしで合格。まことにめでたい。しかし果たして同一研究室から二人も採択され得るのか、すなわち私は面接に受かるのかという不安も覚える。

二十七日(火)。日本での仕事を辞めた妻がビザなしで一時渡米。滞在予定は約一ヶ月。私は本日から一週間の休暇。ラボに出向かぬのは渡米後初。週末に BOSS 夫妻と夕食。

翌週、平常勤務。妻は独りで米国散策を楽しんでいるようだ。週末、BOSS 夫妻に連れられ隣町のワイナリーで葡萄を踏む。

九月十三日(金)。待望の MH4 が発売さる。続く週末には Dr. NM 邸に招かれ夕食を馳走になる。

二十二日(日)。午後、Minneapolis 発成田行。翌日午後、成田着。東京。四谷泊。

二十四日(火)。午前、日本学術振興会にて海外学振の面接。発表四分、質疑六分。午後、静岡。M 先生の研究室にてセミナーをさせて頂く。あにはからんや、この日記の読者で、しかも私の現在の研究分野の経験がある方が聴講して下さっており、有意義なお話しを頂戴する。悪いことはできないものである。静岡泊。

二十五日(水)。午後、京都。研究室に出向き H 先生に挨拶。京都泊。翌日、妻と別れ各々の実家へ。

三十日(月)。妻の実家泊。

十月三日(木)。午後、関空発 Seattle 経由 Minneapolis 行。同夕、米国宅。

楽しく忙しい数週間であった。

ところで、日々の暮らしに刺激を求める人と単調を望む人がいる。私は後者である。可能であれば毎日同じ生活を送りたい。同じ道を歩き同じレストランに行き同じものを食べ同じ時間に帰る。私はこのような暮らしが苦痛ではない。むしろそれが乱されることを嫌う。もちろん、ただそれだけでは退屈である。そこで無聊を慰めるために本を読んだり、あれこれと妄想をする。自分の内側を探検する。それを素晴らしい活劇とするには、あるいは微細な変化を鋭敏に察知するには——、日々の生活が平坦でなければならぬ。

このような暮らしが私には楽しい。他人のことは知らない。だが、いくらこちらが不干渉主義を貫こうとも、向こうから干渉されることが多い。これを跳ね除け自分の習慣を守るにはなかなかの決意が要る。誰かと連れ立ってどこかに行くのは容易である。行けば行ったで楽しいであろう。楽しかったから良かったねとなる。左様、何も悪いことはない。だから困る。困っていても仕方がないので、もう理屈抜きで拒絶する他はない。

なぜ拒絶しなければならないのか。時間は有限、すなわち私はいつか死ぬからであり、そして私が本当にしたいこと、または私が本当に楽しいと思うことはそれではないからである。

話題が飛躍するように思われるかもしれないが、研究は競争が激しい世界である。競争が激しいとはつまり、私がしなくとも誰かがする、しているということである。この事実を踏まえた上で、私は、他ならぬ私がその研究をする理由を述べねばならない。研究費を申請するためにではなく、自分の人生のためにである。実のところこれは難問である。色々と考えたが、あり得る回答は「私がしたいから」しか存在しないように思える。

研究に限った話ではない。「私は私がしたいことをせねばならぬ」。この命題は真剣に検討してみる価値がある。これは権利なのか。義務なのか。はたまた自由なのか。私は、なぜそれをしたいのだろう。また、私がしたいことを「する」という行為が重要なのだろうか、それとも「した」その結果こそが問われるべきなのだろうか。

いつもそんな調子じゃ疲れるだろう、と言われるかもしれない。しかし疲れたというのは「休みたい」ということであり、休みたいのであれば休めばよろしいと反論できる。ここで重要と思われるのは生理的欲求との兼ね合いである。とはいえ、本当に熱中しているときは文字通り「寝食を忘れる」のだから、基本的には生理的欲求に忠実であって構わない、むしろそれが健全だと私は考える。以前に「動物らしく生きたい」と書いたのはそのような意も含んでいる。

疲れたのでここで止める。