- 米国にイカれる

2013/05/11/Sat.米国にイカれる

私が生まれ育った一九八〇年代は日本が最も豊かだった時期であり、米国といえども単なる外国の一つに過ぎなかった。既に日本の生活様式も随分と米国化していた。私たちはジーンズを履いてマクドナルドに行き、ハリウッド映画を楽しんだ。日本の同盟国であり最大の貿易相手国であった米国のことは、他のどの国のことよりも詳しく報じられた。二十歳の頃にインターネットが爆発的に普及して、私の情報生活は、Google, Apple, Microsoft, Amazon といった最大手はもちろん、小規模なサービスから頻用するソフトウェアに至るまで米国産のものに占められた。科学の世界に身を投じてからは、この人類共通の基盤における米国の巨大な影響力を肌で感じるようになった。研究が忙しいときは、日本語よりも英語を読み書きするほうが多いほどであった。実際に何度か米国を訪れもした。そして、ある程度は何事にも客観的でいられるようになった三十歳を過ぎてから米国で仕事をすることになった。

一言でいえば、私は過去および現在の平均的日本人よりも米国に免疫があるといえる。にも関わらず——、現実に米国で暮らし始めてから覚えた驚きはなお言葉に余る。

間違いなくいえるのは、若くして渡米した昔の日本人が経験した感情の変化は、私と比べものにならないほど激烈であったはずだ、ということである。彼が米国にイカれるのも無理はない。逆にいうと、留学経験のある年配者が海外について書いたものは、この点を割り引いて読まねばならぬ。

ここで思い出すのは、英国留学中に鬱を患った夏目漱石のことである。それから、漱石の研究者であり、米国留学後に一種の反米的な転向を果たした江藤淳のことである。そして、司馬遼太郎の『アメリカ素描』という紀行文である。

これらの事例については、時間を取って考えていきたい。そのためにはまず私自身が平静でなければならぬ。幸いにも、私の生活の中心を成す自然科学は本質的に国家・人種・言語と無関係である。その点が上記の人たちとは決定的に異なる。小平邦彦『怠け数学者の記』は大正生まれの数学者による米国留学記だが、その爽やかな筆致は、きにつけしきにつけ諸外国にイカれた者のそれとはやはり根本的に違う。

米国での生活によって私の考え方は変化するだろう。しかしそれが激変してしまったとしたら、それは私の思想ではなく米国の思想である可能性が高い。他者の考えを自分の考えだと勘違いしてしまうことは多い。注意が必要であろう。