米国に来て一週間が過ぎた。
日本と違って米国では——とつい書きたくなるが、この言説には大した価値がないので慎もうと思っている。米国が日本に与える影響は巨大だが、日本が米国に及ぼす変化は些少だからである。米国がどのようであるかは、日本がどのようであるかに依存しない場合が多い。今の私にはそのように観察される。
米国で生活をするというと、多くの人が「さぞ不自由でしょう」と同情してくれる。しかしこれは発想が全くの逆である。日本の様式でしか暮らすことができない(と思い込んでいる)ほうが、よほど不自由なのではないか。米国に来たのだから、米国のものを買い、米国のものを食べ、米国のものを
ここで考えるべきは、「郷には入れば郷に従え」という言葉の意味である。この諺の適用範囲は、どうも日本国内に限られるらしい。海外に出れば今度は一転、できるだけ日本式を貫こうとするのが日本人である。どこに行っても米を炊き、味噌汁を
そういえば、外国でも故国の様式を
米国というこれまでとは異なる環境において、私は私の様式が
ここで心強く思うのは、私が既に科学の様式を体得しているということである。家賃の支払いに戸惑う私でも、渡米二日目には ES 細胞の培養を始め、研究室の同僚と研究内容を議論することができる。これが可能であったのは、私と同僚が共通の智識を持っていたからではなく、お互いが科学という様式に