アメリカ人が盛んに世界史を書くのは、イギリス人がローマ史を、日本人が中国史を書くのと似た理由からではないか。
自らの根源や、より大きな帰属意識を求めて。中央や本流に対する、純粋な憧憬と羨望を抱いて。同時に、周辺であるがゆえの冷静さと客観性をもって。複雑な劣等感とともに、しかし今は違うぞという自負心を発揮して。
別の話をする。ノアの方舟についてである。
ヤハウェが言われるには、「わたしはわたしが創造した人を地の面[おもて]から絶滅しよう。人のみならず、家畜も這うものも天[そら]の鳥もみな滅[ほろぼ]してしまおう。わたしはそれらのものを造ったことを悔いているのだ」。しかしノアはヤハウェの前に恵みを受ける者となった。
(関根正雄・訳『創世記』「第6章 7-8」)
この話でよくわからないのは、ヤハウェとノアは、海生生物についてどう考えていたのか、ということである。「四十日四十夜地上に雨を降らせ」たところで、深海生物には特に影響がないように思われる。
上の問いをより一般化すると、どうすれば地球から生命を根絶できるのか、となる。高熱硫黄細菌の存在などを考えると、これは生半のことではない。太陽が赤色巨星となり、地球の水が全て蒸発するまで、生命の営みは続くのではないか。そしてもちろん、それまでの数十億年の間に、地球の生物が地球以外の星へと進出する可能性もある。
脱線するが、ヤハウェは全宇宙を創り給うたのであるから、どこかに存在するであろう地球外生命の神もまた、ヤハウェであるはずである。デスラー総統もバルタン星人もヤハウェの創造物である。さもなくば、サタンということになる。
——これで争いが起こらない方がおかしい。宇宙戦争というのも、しょせんは宗教戦争であるのかもしれない。