- 失せろ!

2012/09/17/Mon.失せろ!

JOE 兄を監視するために Facebook にアカウントを作った。SNS に対して俺個人は否定的であるが、それは措く。ただ一つ本音をいうなら——、JOE 兄ほど力のある人には、狭くて暗くて湿った穴蔵の中で思考の断片をブツブツ呟くのではなく、open な場所でしっかりとした表現をしてほしい。友人のようなそうでないような連中から「いいね!」を投げつけられてアヘ顔ダブルピースとか、どんだけマゾなんだよ!

一つ指摘しておきたいのは、実名・匿名論争と、open・closed 論争が奇妙に混同されている風潮についてである。なるほど Facebook のアカウントは実名で登録されており、彼の交友関係なども「公開」されてはいるけれど、アカウントを持たない人間には何も見えない。一方、匿名のページは、それゆえに誰もが閲覧できるという点で SNS よりよほど "open" である。名前など、コンテンツに張り付けられたタグの一つに過ぎない。

(俺のこの考えは科学論文の査読 process に大きく影響されている。ひとたび論文を投稿すれば、地球の裏側に棲む名も知れぬ研究者からボロクソに批評される。そのときに身内の評価など何の役にも立たない)

この問題は、ネットにおける表現の自由や、ネットとリアルとの関係なども含んでいる。要するに何をしたいのかで結論も異なるのだが、俺は JOE 兄の才能を「いいね!」という言葉以上に評価しているので、少し乱暴に書いてみた。

以下は妄想である。

Anti-Facebook があれば面白い。自分が嫌いな人間を「クソ野郎」として登録するのである。そいつが気に喰わないことを呟いたら、遠慮なく「失せろ!」ボタンを押してやろう。「クソ野郎を紹介」も重要な活動だ。彼がどれだけ愚劣で無能な奴かを皆に報せてやるのである。「味方かも?」という recommendation 機能もある。敵の敵は味方。同じ「クソ野郎」を登録している人どうしは仲間である可能性が高い。

実際の人間関係においては、誰と誰が友好であるかという以上に、誰と誰が険悪かを把握するのが重要である。陰でネチネチと対立するくらいなら、いっそ派手に喧嘩をしてくれた方が周りも助かる。弥次馬として観察するだけでも面白い。誰か作ってくれないものか。