- 朝鮮戦争と日本

2012/08/26/Sun.朝鮮戦争と日本

ハルバースタム『朝鮮戦争』の書評で記し忘れていたことがあったので補足しておく。

既に指摘したように、本書には日本に関する記述はない。しかし実は、日本も朝鮮戦争に直接参加しているのである。

実は海上自衛隊が創設される前、朝鮮戦争初期の1950年秋に、当時の海上保安庁の掃海部隊が朝鮮半島東側の元山港付近に出動し、米海軍指揮下に北朝鮮軍の機雷を処理する戦後初の敵前対機雷戦を体験しています。このとき触雷によって日本人乗員1人が「戦死」しましたが、日本政府は掃海部隊を出していることも含めて一切公表しませんでした。

(小川和久『日本の戦争力』)

自衛隊の海外派遣に関する議論などでは、「我が国は戦後一度も戦争に参加したことがない」といった主張をしばしば聞いたが、それは虚構である。戦後神話の一つといっても良いだろう。

(加えるなら、元山上陸作戦は、仁川上陸の成功で舞い上がったマッカーサーによる全く無駄な作戦であった。元山には陸路を行った韓国軍がほぼ無傷で一番乗りを果たしている。日本の掃海隊が急かされながら機雷を撤去する必然性はなかったといって良い)

「Wikipedia - 朝鮮戦争」の「日本特別掃海隊」にも若干の記述がある。それによれば、海上保安庁の参戦は、中国やソ連のリークを通じて、国会および国連総会でも話題になったという。

調べてみると、第十回国会で日本共産党の加藤充による以下の発言がある。

第五には、日本の労働者は、国連協力の名のもとに、実質上、日本の人的、物的戦争力の総力をあげて朝鮮戦争に介入し、動員しているところの、内外反動の手先吉田政府によつて、まつたく動物的低賃金と、言語に絶する━━━監視のもとに、━━━━職場で労働強化をさせられている実情を、私どもは見のがすわけには参らないのであります。文字通り給料も與えられず、国体消磨的奴隷労働を強行していることが、公務員を含めて、全日本の労働者災害の増大の根本的な原因であることを、ここに指摘せざるを得ないのであります。民族の独立と平和と、人民の生活の安定と向上を保障したところのポ宣言を基準とした公正な全面講和の確立と締結こそが、労働者災害補償の唯一の根本的施策であることをここに主張し、このことのために、わが党は断固として闘うことを宣言し、以上をもつて反対の討論を終るものであります。(拍手)

第十回国会衆議院本会議第三十九号 - 昭和二十六年五月二十四日

「日本の人的、物的戦争力の総力をあげて朝鮮戦争に介入し、動員しているところの、内外反動の手先吉田政府」という批判はあるが、日本共産党が「見のがすわけには参らない」としているのは、労働者の給料問題である。この発言は国家公務員災害補償法案についてではあるのだが、「朝鮮から撤退しろ」という指摘はない。

日本共産党と朝鮮戦争の関係については兵本達吉『日本共産党の戦後秘史』に詳しい。兵本は「日本共産党の『軍事闘争』の目的は、朝鮮戦争の後方撹乱である」という。しかしそれなら、加藤は海上保安庁による国連軍の支援をもっと糾弾しても良さそうにも思えるのだが……。

第十一回国会は以下のごとくである。

○[社会党]猪俣[浩三]委員 もう一つ。この講和条約によりますると、日本は国際連合に加盟しなくても国際連合に協力するところの義務を負担されておるのでありますが、朝鮮事変がもし停戦できませんで、発展するような場合におきまして巷間伝うるところによれば、日本の警察予備隊がいわゆる国連軍に協力する意味において朝鮮に渡るような説をなすものがありますが、かようなことにつきましては、もちろん私ども信ずるわけではありませんけれども、かりにさようなことがあり得るとすれば、これは憲法違反だと考えます。憲法を守る以上は、たとい軍隊にあらずといえども警察予備隊なるものを朝鮮に派遣するというようなことはあり得べからざることと考えるのでありますが、内閣の法律顧問たる法務総裁の所信を明確にしていただきたいと思います。

○大橋[武夫]国務大臣 警察予備隊は、ポツダム政令でありまする警察予備隊令によつて組織せられておるのでございます。警察予備隊令のいかなる条項を見ましても、警察予備隊が朝鮮に派遣されるということはあり得ないわけでありまするし、また現に政府といたしましても、さような場合があるということはとうてい予想いたしておりません

第十一回国会衆議院法務委員会第二号 - 昭和二十六年九月十八日、[]内及び傍線引用者)

共産党や社会党は、本当に海上保安庁の活動を知っていたのであろうか。知っていたとするなら、あまりにも鉾先が鈍い。実際には、それほど精確な情報を得ていなかったのではないか。あるいは、強く指摘できない理由でもあったのか。よくわからない。

一九五一年当時の日本共産党は武装闘争による混乱と分裂の危機にあり、翌一九五二年の第二十五回総選挙では候補者が全員落選する。同年には破防法が成立し、日本共産党は調査対象団体に指定される。一九五三年にはスターリンが死去、朝鮮戦争は停戦となる。このような流れの中で、うやむやになってしまったのだろうか。

朝鮮戦争への日本の参加が広く知られていたなら、それは必ず安保闘争で採り上げられたはずである。やはり、基本的には知られていなかった事実と考えて良いのだろう。