- 漢文と和文、読書日記

2012/07/22/Sun.漢文と和文、読書日記

十時半起床、煙草、缶珈琲、行水。十二時、ハンバーガー、冷珈琲。その後服屋、本屋。十五時四十分より按摩一時間、通常四千数百円のところ誕生日の由で三千数百円也。十八時より研究室にて細胞播種。十九時帰宅、弁当、缶麦酒。日高義樹『ホワイトハウス』読了、一九七四年の著作なりしが米国大統領の権勢の実態あるいは米国開闢期における権能趨勢の歴史的考察は興味深し。

——このような記述の効能は、簡潔であることを強いると同時に、曖昧な主観の混入を拒むことによって、日本人(というか日本語)が不得手とする客観性や定量性、すなわち記録としての信頼性を高める点にある。この種の記述が漢文調であることに留意しよう。つまり我々は、文章を明晰にしようとしたとき、母語ではなく中国語を恃んだのである。

(今では漢文を書くこともなくなったが、代わりに各分野で英語が用いられている。同じことである)

十七条憲法以来、日本の法律は漢文(調)で記されている。和語を基調とした初めての法律は日本国憲法ではなかろうか。この憲法がフニャフニャしているのは、その文言云々よりも、単なる日本語の特性ではないかとすら俺は疑っている。

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