- Diary 2012/04

2012/04/27/Fri.

最近読破した本の短評を書いておく。

佐藤優の読書リストには相変わらず科学書がない。その引っ掛かりが強過ぎて、「功利主義」の意味もいささか不分明である。応用された科学技術は社会的功利の最たるものだが、彼がいうのは恐らく個人の生における功利であって、必ずしも科学を語る必要はないのかもしれない。

「100万ドルを拒否した〜」とは、もちろんグレゴリー・ペレルマンのことである。『完全なる証明』は彼の数学的業績の解説ではなく、その人物像に焦点を当てた評伝で、一気に読み切ってしまった。第11章「憤怒」——特にその結末——などには戦慄を覚える。すこぶる後味が悪い。研究業績とは何であるか。雑誌の impact factor を調べる前に、一度この種の物語を読んでみるのも良いだろう。

2012/04/26/Thu.

以下の文章は辞書を引かずに書く。

正確に覚えていない日本語が幾つかある。実はいまだに、「おざなり」と「なおざり」のどちらが正しいのかがわからない。「惰性で・いい加減な態度で・やる気がないので適当に」という意味のアレである。

私が「おざなり」と「なおざり」を峻別できないのは、両者とも自然な日本語のように感じられるからである。なぜなら、この二つにはそれぞれ、私が発明した架空の語源が存在するからである(語源の創造は私の妄想の重要な一種目である)。

「おざなり」は「御坐なり」である。横着にも座ったままの体で、の意である。イメージとしては江戸時代の馬鹿殿に近い(それにしても、いわゆる馬鹿殿が本当に存在していたのかは長年の疑問である)。

「なおざり」は「猶〜(せ)ざり」である。ここに至ってなお何もしない、する気もない、の意である。

……やっぱり、どちらも正しいような気がするんだよなあ。

2012/04/25/Wed.

専門家の文章は難解であるといわれる。主な理由は二つあると私は考える。一つは専門用語の頻用であり、もう一つは理論の圧縮である。この種の操作がなされるのは、著者が(しばしば意識せずに)暗黙知を要求するからである。したがって知識のない読者には、これらの文章は煩雑な上に飛躍があるように感じられる。

「難しいことを易しく書くのは難しい」といわれるが、私は必ずしもそう思わない。少なくとも自然科学の文章を平たく記述するのは原理的に可能である。そこにあるのは、観察された facts と、それらを結ぶ論理しかないはずだからである。ただ、確立された専門用語と理論を用いずに書くとなると、分量と作業が膨大になる。幾何の証明で、毎回ピタゴラスの定理を導き出していたのでは話が進まない。その意味で、「易しく書くのは "時間的、金銭的、体力的に" 難しい」というなら真である。

著者も読者もいつか死ぬ。時間は有限である。文章は短い方がよろしい。だから——それらを充分に使う機会があるなら——用語と理論を学び、駆使した方が、長期的には効率が良いという結論になる。

ある事柄を短い文章で表現すると、中身が複雑になる。工学的に考えれば当然である。Walkman は筐体が小さいために構造が難解だったはずである。だからといって、もっと大きく、単純にしろという批判はない。Walkman の構成を知らなくても音楽は聴けるからである。しかしながら文章は、中身を理解せずに著者の主張を知ることはできない。文芸作品を除き、文章は短ければ短いほど良いが、ある線を越えると、短いがゆえにわからなくなり、価値がゼロになる。そのような閾値が存在する。この閾値が個人で異なるから話が紛糾する。

確実にいえることは、わからないからわかりやすく書けと要求してそれが叶えられるのを待つよりは、書いてあることがわかるまで勉強する方が早いだろうということである。もっとも、勉強するのにも時間が掛かるから、その文章にそれだけの価値があるかという判断をまずしなければならない。ところが、的確な判断を下すのにも知識が要る。結局、何かを知りたいのであれば、何でも勉強しておくのが良いだろうということになる。

もっとも、全く文章を読まない生活というのもあり得る。そんな暮らしは知的ではない——、と反射的に反応してしまったとしたら、専門家あるいは読書家の悪癖に染まっている可能性が高い。どのような感想を抱こうとも個人の自由だが、それを公言するとなると品性の問題になる。知性があっても品位がなければただの人である。両者を兼ね備えている人は——恐らく、考えているよりもずっと——多いからである。品のある人物は自らの知を隠すので、なかなかそれとわからない。喝破するには、こちらも品性を磨くしかない。

ところで品性とは何だろうか。これは後の宿題としたい。覚書として一つ指摘しておきたいのは、下品な文章は往々にして長い、ということである。これは恐らく自己言及の欲求と関係していると思われる。

2012/04/22/Sun.

絵画教室二十四回目。四枚目の水彩画の四回目。モチーフは熱帯魚(の写真)。日記の日付は四月二十二日だが、実際に行ったのは二十一日である。

背景の岩を描き込んでいく。下地の色は塗り終えているので、水で色を落としながらハイライトを表現する。凸凹した感じが出てきたところで、魚の下塗り。

この絵に関しては完全にやる気を失っており、どうも投げ遣りである。これではいかんと思うが……、いや、特に思ってもいないな。

夜は居酒屋で晩餐。

関連

過去の絵画教室

2012/04/21/Sat.

「常識を疑え」という言説は極めて常識的である。本当に良い質問や疑問は、もう少し違った形で顕れる。

最近の私が思い付いた中で一番だと思うのは、「金閣はなぜ再建されたか」という疑問である。この面白さを理解してもらうには、少々の説明が要るかもしれない。この問いに裏や含意はない。書いたままの素朴な疑問である。その単純さは、金閣は再建されて当然と思うのと同程度の単純さである。

一九五〇年七月二日、金閣は放火により焼失した。三島由紀夫はこの事件を題材に『金閣寺』を書いたが、事実はもっと散文的なようである。いずれにせよ、焼けてしまったものは仕方がない。ではそこで、いったい誰が、どういう動機で「再建しよう」と考えたのか。私にはこちらの方がよほど文学的な主題であるように思われる。恐らく、再建を志した特定の誰それ、というものは存在しなかった。ごく当たり前のように運動が起こり、浄財が集まり、再建されたのだろうと思う。しかしさて、その最中に、「なぜ再建するのか」と問われて明確に答えられる人がいたかどうか。

鹿苑寺の関係者には、観光収入を維持するためという理由があろう。歴史学者や教育者なら、金閣の姿を後世に残すためと言うかもしれない。「建築物としてではなく symbol としての『金閣』が重要なのである。したがってこれは建築物の再建ではなく、symbol の再生である」と議論することも可能ではある。だが、このような説明で万人が——そして貴方は——納得するだろうか。

私は金閣の再建を否定しているわけではない。ただ、現存する金閣は、往時の金閣とは全く別物であると認識している。辛辣にいえば偽物である。もっとも、偽物だから悪い、劣っている、と主張するつもりもない。偽金閣は立派なものである。実際に観れば感動するし圧倒される。その後で、「ま、偽物だけどね」とつい思ってしまうというだけの話である。これはその人の歴史観の問題かもしれない。

「金閣はなぜ再建されたか」という疑問に結論はない。目的も実利もない。少なくとも私は持っていない。これらは、良い疑問の条件でもあると私は思っている。

2012/04/08/Sun.

この日記も十周年を迎えた。よく続いたものだと思う。

先日、研究補助員女史とお話しする機会があった。高校生の長男氏が本好きだという。私は、それなら文章も書いてみたら良いでしょう、とお伝えした。あれを読めこれを読め、というのは余計なお節介だと私は思っている。大して本を読まない人ほど、たまたま自分が読んだ本を無闇に推薦してくる。

私が唯一、若い読書家に奨められるのは、文章を書くことの効能である。私が文章を書き始めたのは十八歳のときで、以来、二十代を挟んで、今年で三十二歳になる。この間に、人格も随分と変化した。核となる性格は変わっていないように思うものの、幾分と柔らかくなったり尖ったりした部分はある。その理由は様々だが、文章を書くことで変容した割合は無視できない。

数年前の自分の写真を見て、恥ずかしくなったことはないだろうか。当時は格好良いと信じて疑わなかった服装や髪型、あるいは仕草や所作などがみっともなくて仕方がない、いかに自分が浅はかであったかを思い知る……。全く同じことが、書き溜めた文章を読み返したときに起こる。

写真が映し出すのはせいぜい外見であるが、文章には自分の内面——中でも醜い箇所——が色濃く反映される。もっとも、一所懸命に書いている間は、なかなか気付くことができない。時間が経ち、書いたことを忘れた頃に読み返してみて、初めてわかる。しかし一度わかってしまえば、徐々にではあるが、冷静に文章が書けるようになる。何より重要なのは、文章を鍛練する過程で、それを書く自分の品性もまた錬磨されるということである。

自分自身を見つめる、その姿を受け容れる、そして望む方向に変えていく。このような attitude は後々の人生できっと役に立つと私は信じる。

文章を書くことによって生じる循環が一般的なものかどうか、私は知らない(例えば、本を読まない人がいくら文章を書いても無駄であろう)。しかし、まだ naive で、受容と変容に大きな余地が残されている若い読書家には、より大きな効果が期待できるだろう、ということは予測できる。それで、このようなことを書いた。

文芸作品を除くと、いわゆる本というものは、自分よりも若い人や未熟な人のために書かれたものが多い。考えてみれば、自分よりも知識があり思慮深く高潔な人間に対して書くことなど何もない。だから今日は、勇を振るって少し偉そうなことを書いた。

この数年間、私はほぼ私のためだけに日記を書いてきた。十周年を機に、もう少し「読まれる」ことを意識してみるのも良いかもしれない。

2012/04/07/Sat.

絵画教室二十三回目。四枚目の水彩画の三回目。モチーフは熱帯魚(の写真)。

大きな面積を綺麗に塗ることができない、というのが前回の問題点であった。講師氏に相談すると、それでは一度見本を見せるから練習してみろ、ということになった。

要点は難しくはない。大量に——自分が思っていたよりもかなり大量に——絵具をひねり出し、広い面を塗るからといって決して薄くは溶かず、むしろ濃いめに調整して刷毛にたっぷりと含ませ、思い切り良く(これが初心者にはなかなかできないのだ)ザザッと塗ってしまう。なんだか荒いなあと思ったが、そんなものらしい。

とりあえず講師氏の真似をして塗ってみる。なるほど良い感じである。アシスタント嬢には「手首が固い」と指摘されてしまったが。

手首を固定しないとピペットマンは操れない。手首に限った話ではないが、私が無意識に想定する「作業」「操作」のイメージは、日々の実験が基準となっている。それと同時に、「絵は繊細なものだ」という思い込みもある。だから、「ここはグリグリ〜ッと塗ってサササーッと雰囲気を出しましょう」というアシスタント嬢の助言に驚くこともしばしばである。「そんな程度で良いのか」と訝しんでしまう。何を言っているのかわからないことも多い。でもそれが楽しい。

夜はイタリア料理屋で晩餐。

関連

過去の絵画教室

2012/04/01/Sun.

最近読破した書の名を挙げ、評に代える。