- 生きている私

2011/11/15/Tue.生きている私

私とは何か。「我思う、ゆえに我在り」と述べたのはデカルトだが、これでは前提が不充分であるように思う。

私とは「生きている私」に他ならない——、という当たり前の地点からやはり出発しなければならないのではないか。「死んでいる私」は私ではない。私は「生きている限り死なない」。私であることと生きていることは不可分である。

もっとも、「生きているが私ではない」という状態はあり得る。脳死などがそうである。けれども逆は成立しない。私が私である以上、必ず生きているのであって、「私とは生きている私である」という命題は真であるように思われる。生きているから考えることができる。それで初めて「我思う」となるのではないか。生きていることは私であることの必要条件といえる。

では「生きている」とはどういうことか。それがわかれば苦労はないのだが。