- Diary 2011/11

2011/11/19/Sat.

絵画教室十四回目。二枚目の水彩画の二回目。モチーフはエリマキトカゲ(の写真)。

鉛筆で描いた線画に、下塗りの黄をざっと乗せる。その上から、黄と青で作った緑を塗り重ねていく。色合いが単調にならないように気を付ける。黄と青しか使えないので、陰影を付けるのが難しい。明るいところは紙の色を生かすとして、暗い部位をどのように塗れば良いのかがわからない。濃青を混ぜれば暗くはなるが、それでは単に「青っぽく」なるだけである。暗くて黄色い場所はどうすれば良いのか。謎である。

途中経過を撮影しようと思っていたが、作業に夢中で忘れてしまった。

夜は居酒屋で晩餐。

関連

過去の絵画教室

2011/11/16/Wed.

先週、ソウルに行ってきた。勤務先が提携している韓国の大学でシンポジウムがあり、そこで京都の仕事を発表するためである。

韓国人とも交流したが、今年度からの新参者である自分にとって、勤務先の他部署の方々と話をする機会があったこともまた収穫であった。色々な人から留学を奨められたのが印象的であった。いつものことではあるのだが、外国で言われると、少しく印象が異なって感じられるから面白いものである。

2011/11/15/Tue.

私とは何か。「我思う、ゆえに我在り」と述べたのはデカルトだが、これでは前提が不充分であるように思う。

私とは「生きている私」に他ならない——、という当たり前の地点からやはり出発しなければならないのではないか。「死んでいる私」は私ではない。私は「生きている限り死なない」。私であることと生きていることは不可分である。

もっとも、「生きているが私ではない」という状態はあり得る。脳死などがそうである。けれども逆は成立しない。私が私である以上、必ず生きているのであって、「私とは生きている私である」という命題は真であるように思われる。生きているから考えることができる。それで初めて「我思う」となるのではないか。生きていることは私であることの必要条件といえる。

では「生きている」とはどういうことか。それがわかれば苦労はないのだが。

2011/11/06/Sun.

自由に考えることは難しい。

上記とは全く無関係なようだが——、様々な店がポイントカードを発行している。ポイントを溜めると客に利益がある。とはいえ、日本は一応の資本主義社会なので、客だけが得をする仕組みなどあり得ない。店側にも何かしらの利益が見込める構造になっている。

店と客の双方が得をするのだから、結構なことではある。ただ、両者に利益が生じるのは、カードを持っている客が、発行した店を利用した場合に限られる。逆にいうなら、財布の中にカードが入っているだけで、そのような偏向が常にあなたに掛かっているともいえる。「ポイントが付くからあの店に行こうかな」というのは、あなたの考えのようであって、そうではない。

幾ばくかのポイントと、ささやかな自由のどちらが大事かは、人によって異なるだろう。けれども、何かを本気で考えたいのなら——、財布の中のカードを全て破り捨てるくらいのことはできるはずである。

真面目な方のために断っておくと、ポイントカード云々はあくまで冗談である。ここで言いたいのは、常識や価値観といったものは、財布の中のポイントカード以上に身に付いてしまっている、ということである。

2011/11/05/Sat.

絵画教室十三回目。二枚目の水彩画の一回目。

黄と青の二色だけで水彩を描き、混色や重ね塗りを学ぶのが主題である。黄と青といっても、それぞれに三種類ほどあるので、組み合わせとしては「むしろ」多い。そう思っていないと、俺の性格からして、決まったパターンの混ぜ合わせだけに終始してしまいそうな気がする。

本日は鉛筆で下書きをした。モチーフは、エリマキトカゲ(の写真)を選んだ。来年の干支である辰に最も近いと感じたからである。鱗や爪などを見ていて、MH のモンスターたちを思い出したという理由もある。独特の形状をしているが、上手く描けたので、次回から色を塗るのが楽しみである。

夜はフランス料理屋で晩餐。

関連

過去の絵画教室