- 骨と在庫

2011/02/18/Fri.骨と在庫

昨日の日記を書いてから一日も経たぬ間に、それとはまた別の book の chapter について、ボスから contribution を要請された。ありがたい……のだが、主題の広さと分量の多さと期間の短さを聞いて尻込みをする。執筆だけに集中できるのならば構わないが、来月からは新しいボスの許で新しい仕事もしなければならないのが辛いところである。しかし、これくらい切羽詰まっていた方が勉強にも身が入るだろう。

これら諸々の締め切りに加え、細々とした予定、手続き、買い物が山積しているので、備忘のために手帳を買った。今は四月始まりの手帳が売り出し中のようである。毎年思うことだが、各種手帳の発行部数は人口に対して明らかに過剰である。各々こだわりがあるのは理解できるが、それにしても無駄が多い。

この問題を一般化して表現するとどうなるか。受給の多様性を在庫によって解決しようとする試み——といえないこともない。

これを生物に当て嵌めて考えると面白いかもしれぬ。例えば、ATP に代表されるようなエネルギー源は在庫的である。一方、遺伝子の発現は在庫的ではなく逐次生産的である場合が多い。

余談だが、骨格についての興味深い話を最近聞いた。生物はそもそも、骨格を作るために骨を作ったのではないという。筋肉の運動やシグナルの伝達には Ca2+ が必須である。カルシウムは一度に大量摂取できないので、必要なときのために在庫として普段から溜めておかねばならない。そういう理由で体内にカルシウムを沈着させてできたものが骨だという。この骨を何かに利用できないかということで骨格へと発展した。——嘘か本当かはわからぬ。しかしありそうなことだとは思う。