- Diary 2010/12

2010/12/31/Fri.

今年も残すところ僅か一日となった。この年末年始は帰省せず、独りで過ごすつもりでいる。年明け早々に学位審査が行われるからだが、とはいえ、特別に何かをしているわけでもない。今から改めて準備をしているようでは、そもそも駄目だろう。

ところで、呼吸をするように無意識な生活を送らなければ、何事かを成すのはなかなか困難ではないか。読書家は水を飲むように本を読む。演奏家は楽器を、車掌は時刻表を、運動選手は競技道具を、それぞれ服を着るがごとく自然と身に纏い触れている(と想像する)。そのような日々を手に入れたいとよく思う。

仮説を確かめるために実験を一つ、学位審査があるのでスライドを一つ、今日はこんな主題で日記を一つ——、などという在り方はいったい何だろう。疑問とまではいかなくとも、いささかの自問を発せずにはおられぬ。

呼吸は、酸素を摂取し二酸化炭素を排出するためという、これ以上ない立派な目的のために行われる。取り込まれた気体は血中に溶け込み、心臓の拍動によって体内を循環する。これもまた崇高な動きである。だからこそこれらの行為は無意識に実行される。酸素を得るために横隔膜を下げ、ここで左心室の収縮を一発。そんなことを考える者はいない。

中島敦の『名人伝』ではないが、自分にとって大切なものを無意識に追いやることで開けてくる地平が存在する……のかもしれぬ。