- 世界中の誰よりきっと

2010/02/10/Wed.世界中の誰よりきっと

少し前のことになるが、プリンタを買ってきた T です。こんばんは。

「関西にはたくさんの空港が必要です」と掛けまして、「大変ありがとうございます。恐縮です」と解く。その心は「いたみいります」。

現行の生物学に要求される物理学の知識は古典的な範囲に留まっている。原子が、陽子・中性子・電子から成り立っているというレベルの認識で困ることはないし、支障をきたす理論もない。だからといって、それより下位の物理的構造や情報が生命現象に関係していない、ということにはならない。この問題については何もわかっていない。話題に上ることもないから、どの程度認識されているのかも不明である。

『君主論』をマニュアルか何かと勘違いしている馬鹿者が多い。『君主論』の精神を実践したからといってマキャヴェリ流の君主になれるわけではない。君主がマキャヴェリストになることと、マキャヴェリストが君主になることとは全く別の話である。マキャヴェリズムを実践することでリーダーを目指している人間は、実にこの点を誤解している。マキャヴェリズムは君主のための処方箋なのであって、君主になるための必要条件ですらない。

もし世界中の人間が俺であったら

「もし世界中の人間が俺であったら」という妄想が、幼少の頃から定期的に頭を過る。「俺 "だけ" であったら」ではない。現在の世界はそのままに、全ての人間の特性が「俺」に変わるのである。

この妄想の初期条件には色々とヴァリエーションがある。例えば、明日から急に全員が「俺」になるのか、それとも徐々に入れ替わっていくのか (例えば明日から生まれる人間は全て「俺」である、など)。お互いがお互いを「俺」であることを認識しているのか否か。などなど。

この妄想が湧いてきたときに、一番最初に気になるのが、「俺だけで原子力発電所を運用できるのだろうか」ということである。なぜ原発が気になるのかはわからない。とにかくこの疑問が出てくる。「きちんと訓練さえ受ければ、既存の発電所を運転するだけなら何とかなるだろう」と考えて、ひとまずは安心することにしている。

大局的な社会について考えるのはなかなか楽しい。世界中の人間が俺であり、そのことを俺たちが認識していると想定すると、まず犯罪は起こらないと考えられる。警察の犯罪部門や、軍隊などが不要になる。折衝についても、大体においてスムーズに合意できると想像されるので、大きなところでは外交、小さなところでは各種の契約が簡潔になる。三権も極めて簡素になるだろう。

俺が興味を持たない産業や分野は壊滅する。あらゆる規格は統一され、その統一規格における商品のヴァリエーションも激減する (この世に「好み」が一つしかないので)。

職業の割り振りはどうなるだろう。例えば、研究をしたい俺は多数いるはずであり、役人をしたい俺は少数のはずである。この場合、俺がしたくない職種の賃金をべらぼうに上げることで何とかなると思われる。やりたい仕事に就いている俺は貧乏であり、やりたくないことに従事している俺は金持ちなのである。なかなか面白い社会である。あるいは、全ての職業を交代制にしてもよろしい。全員が俺であるので、そのような突飛なシステムを採用することもできるだろう。

この妄想社会を考察するとき、「女性はどうなっているのか」は最も回答が困難な質問である。いまだ上手い解決策を思い付いていない。

この社会では、学問や技術、文化の発展が俺の潜在能力を越えることはない。学問や技術は積み重ねの部分もあるので、極めて漸進的だが進歩し続ける可能性はある。「世界中の人間が俺だけであったら」という想定は、「俺が不老不死であったら」という仮定とほぼ同じである。何もできなさそうでもあり、思ったより色々とできそうな気もする。