- Diary 2009/12

2009/12/31/Thu.

これから帰省する T です。こんばんは。

それでは皆様も良いお年を。

2009/12/30/Wed.

久々に MHP2G で遊んでいる T です。こんばんは。

妄想をした。

電線地中化工事、すなわち電柱の撤去が行われれば、犬たちのマーキングや縄張りは大きな影響を受けるに違いない。この電柱撤去は地方都市の公共事業であるため、広域的かつ同時的に実施される。したがって街臭の変化は急激であり、犬たちの混乱も極めて大きい。

舞台は飲食店街や歓楽街、登場するのは野良犬どもだ。

主犬公は、かつて飼犬であった野良犬である。飼犬としての躾を受けてきたため、野良犬にしては知識があり美学がある。人間に対して愛憎相半ばといった感情を潜在的に持っているが、日々の野良生活の中でそれが顕現することはない。生きることに必死だからである。

野良社会は厳しい。縄張りの維持、餌の確保、野良犬同士のランク付け、飼犬どもに対する羨望と憎悪と野良犬としての矜持、そして犬の目を通して描かれる人間社会——。

主犬公はある日、自分の臭路が乱れていることに気付く。原因を調べるために彼は奔走する。情報ソースは様々だ。野良犬社会に流れる噂、ラジオやテレビから得られる人間社会の動向などなど。かつて飼犬だった彼は、野良社会でワイルドに振る舞うとともに、一部の飼犬とは知的な交流を保ってもいる。飼主によっては飼犬が独自の情報を得ることも少なくない。主犬公にとって、彼らとのコネクションは重要な「生きる術」である。

テリトリーが撹乱された原因は明らかになったが、犬である彼らにはどうすることもできない。工事は着々と進行する。なすべきは、まっさらになった臭いのフィールドに新たな秩序を打ち立てること。守旧派があり革新派がいる。下克上を企む犬もいる。犬間のランクは彼らの肉体的な優劣でほぼ決まるが、同時に、彼らは社会的な動物でもある。弱者を率いて犬海戦術を展開する集団が現れる。傷つき敗れ、街を去る犬がいる。噂を聞いて、越境侵入してくる部外犬も出てくる。

そのような戦国時代を経て、街のバランスはひとまず落ち着いた。しかし電柱前後では、社会も、個々の犬が持つ哲学も変わってしまった。街自体の物理的な変化 (工事に伴い人の流れも変化を受け、犬たちの重要な食料源である飲食店にも栄枯盛衰があった)、犬同士の関係、人間との関わり、臭い付けの方法論も全てが一変した。

それでも生きていかねばならぬ。空腹を抱えながら、彼は今日も臭いをつけるために放尿する。

2009/12/29/Tue.

ダブルヘッダーの忘年会をこなした T です。こんばんは。

午後から西宮で、研究員嬢、元テクニシャンの S 嬢、K 嬢と八百屋の 2 階で昼食を摂った。S 嬢は 9 月 1 日に入籍し苗字が変わっていた。来春に結婚式をするから来てくれとのことだった。おめでとう。

5 月に結婚した K 嬢は妊娠しており、翌 3 月末が出産予定日だという。「夕食時が近付くと自分は空腹でなくとも、お腹の子供がまるで食事を催促するように足で蹴ってくる。それを合図に食事の用意を始める」など、興味深い話をたくさん聞けた。母子の紐帯はそのような時期から始まっており、男親が介することも解することもできないものであることがよくわかった。おめでとう。

喫茶店に場所を移し、私より年少の人妻 3 人に囲まれた奇妙な忘年会は夕方まで続いた。

解散後、研究員譲と帰京し、居酒屋にてテクニシャン S 氏、研究員君、元テクニシャン N 嬢を加えて忘年会を開催。30 歳前後の男女 5 人 (既婚者 2 人) で語られることといえば大方の察しが付く。何事でもそうだが、ああでもないこうでもないと話し合うことが一番楽しい。重要なのは、そのような人と場所を持てるかどうかということである。話題など、何だって良いのだ。

喫茶店に場所を移し、22 時半頃に解散。

さて、2009 年の総括であるが、今年は仕事がさっぱりだった。2 本目3 本目の論文が accept されたが、いずれも大した journal ではない。Journal の評価で自己の研究を判断しようとは思わぬが、「研究」ではなく「仕事」として考えるとき、いささか物足りない感じは否めない。来年はいよいよ「仕事」をどうするかについて決断せねばならず、どうにも気分は優れない。4 月からは収入とともに精神的な余裕も減り、些細なことで苛つくことが多かったようにも思う。2010 年は雄飛の年としたいものだ。

晦日は家の用事をして過ごし、大晦日に帰省する予定。妹が来春に結婚する予定なので、かつて「いつもの」という形容句で語られていた正月 (近年はそれすらも珍しくなっていたが) は今年で最後になろう。

2009/12/25/Fri.

今年最後の実験結果がイマイチだった T です。こんばんは。

今週は体調が悪いのを騙し騙しやってきたが、とうとう鼻水が出てきたかと思ったと同時に、なし崩し的に色んな症状が出てきた。幸い仕事はやり終えることができたので、週末はひたすら寝る予定。

俳優と声優

俳優の名前が全く覚えられない。興味がないからである。どれくらい興味がないかというと、声優の名前と同じくらいに興味がない。

映画を観て俳優を云々するのと、アニメを観て声優を云々するのは、俺にとって全く同じ構造の話である。しかし、声優云々が「声優オタク」と侮蔑される一方、俳優云々は「俳優オタク」と指を差されることがない。これはおかしいのではないか。声優に興味のない人は、声優云々の話をウザいと思うだろう。同様に、俺にとって俳優云々の話はウザい以外の何物でもない。だが、そう考える人は少ないようである。誰とどんな映画の話をしても、大抵は俳優云々に終始する。

あくまで俺の印象だが、声優オタクの方々は、自分たちの着眼点が作品を斜めから見るものであることに自覚的であり、作品論と声優論を峻別することにも意識的である。逆に「俳優オタク」は、作品論と俳優論を混同して語るのみならず、そのことに気付きもしない。むしろ当然だとすら思っている。

違和感を覚えるのは俺だけだろうか。

実感とイデオロギー

山口県だかに原子力発電所を建設する計画があり、同時に、それに反対する署名運動も展開されているらしい。研究員嬢の知り合いだかがその運動に携わっており、彼女も手伝いをしているという。さすがに「署名をくれ」とは言わなかったが、そういう話があるという会話だった。俺は「その原発計画自体を知らないので何とも言えない」というようなコメントをした。

知らない事柄には賛成も反対もしかねる。署名はしなかった。

さて、仮に俺が「原発絶対反対論者」であれば、あらゆる原発計画について無条件に——たとえその存在を知らなくとも——反対することができる。それは「原発絶対反対論」という理論に依拠しているからである。このような演繹を可能にするところが理論の特徴であり強みだろう。

イデオロギーとは要するに理論である。そのような当然のことも再確認できた。先日の日記に「〜論的な発想が先行するわけでは決してない。理論は私の実感に便宜上の名前を付けるだけのものであって、それ以上のものではない」と書いた。逆に「〜論的な発想が先行する」状態をイデオロギッシュと呼ぶのだということが、今なら理解できる。

自らの実感にしっかりと立つことを、来年からの目標にしたい。

2009/12/24/Thu.

年末に向けて実験を片付けている T です。こんばんは。

研究日記

3 本目の論文は、グラフに色を塗ったら即日 accept された。何だかなあ。

クリスマスということで、ボスが買ってきてくれたケーキを、研究員嬢、ボスの長男氏と一緒に 4 人で平らげた。その後、研究員嬢を除く 3 人で焼き肉。

来年度以降どうするかについて、ボスに少し相談する。とりあえず学振 PD に出そう、というのがボスの提案であった。学振 PD に応募するとなると、まずは研究室を決めねばならぬ。どこそこのラボでこういう研究をしたいからサラリーと研究費をくれ、というのが学振 PD の形式である。「どこそこのラボ」からの推薦状も要る。つまり書類を作成する前に、どこそこのラボと充分な意思疎通をしなければならない。応募するなら年始早々に動かねばならぬ。

一方、俺の業績では学振 PD の獲得は困難ではないのかという予想もある。DC と反比例して、PD の採択率は年々減少している。色々と問題が指摘されるポスドクという存在を減らすことが、ここ数年の文部科学省の方針であると聞く。加えて、来年度から日本学術振興会の予算もほぼ確実に削減される。特別研究員の採用数も少なくなるだろう。

もちろん、学振だけが生き残る途ではない。特に魅力的なプログラムだとも思わない。学生ですらない者に対して社会的な保証を一切付さないあたりは、もはや冗談にしか思えない。文句は採択されてからにしろ、と言われるかもしれないが、他の若い研究者はどう思っているのだろう。俺の周りには若手研究者という名の医者しかおらぬので、そのあたりのことがわかりにくい。

2009/12/22/Tue.

咽喉が痛い T です。こんばんは。

最近はロクに仕事もせずに、将来どうするのかということばかりを考えては憔悴する、という不毛な行為を繰り返している。来年度は大学院の最終学年であり就職活動をしなければならぬのだが、どちらに向かって突き進めば良いのかすら全くわからぬ有り様である。一時は真剣に留学を検討していたが色々と思うところがあって今では棚上げになっている。が、留保しているだけで棄却したわけでもない。研究を続けるのか辞めるのか。続けるにしても企業に行くのか学界に残るのか。国内にするのか海外にするのか。新しい分野に挑戦して視野を広げるのか、はたまたこれまでの研究との接続を残して深化の方向を探るのか。決めかねておるうちに時間だけはどんどんと経って、気が付けば今年も終わりである。

やりたいことはないのか。そう自問もするが、そのような単純な設問に答えるだけで意思決定ができる時期はとうに過ぎ去った。仮に「やりたいこと」を重視するにしても、目先のやりたいことのために将来のやりたいことを犠牲にするのか、あるいは逆か、などといった問いが無数に発生してくる。若かった頃に比べ、ある意味では様々な展望が見えるようになったため、余計に決定しかねるのである。

以前から暗い話題しかなかった研究業界であるが、政権が代わってからはもはや暗黒といってよろしい。公的な機関における研究という仕事は自ら利益を上げることが絶望的なので、どうしても他人頼みの操業になってしまう。奥床しく慎ましやかな日本の研究者たちはそのことに対して大なり小なり後ろめたい感情を持っているから、これまで声を大にして予算予算とは言ってこなかった。それどころか雀の涙ほどの研究費を有り難い有り難いと感謝して使ってきたのである。公金の不正使用が絶無であったとまでは言わぬが、その件数は他の公的事業と比べ隔絶として少ないはずである。日米の公的研究資金には 8 倍の差があるという。日本の研究水準を考えれば、我が邦の研究の費用対効果の素晴らしさがわかろうというものだ。それを拡充するのではなく削減しようというのだから、もう理解の埒外である。

この国はダメなんじゃないか。それは悲嘆であり憂慮であり憤慨であり、つまりは信頼と期待と愛情の裏返しでもある——あったのだ。本当にダメだと思ったことはなかった。しかし最近は、「これはもうダメかもわからんね」という絶望と諦観に変わりつつある。とはいえ、これからも日本人として生きていかねばならぬので、将来をどうしようかと悩むのである。かくして話は冒頭に戻る。

どうも愚痴っぽい。風邪をこじらせて弱気にでもなっているのか。

3 本目の論文については、カラーモードを変更した figure のファイル (gray scale → RGB) を送れば事足りると判断したが、これは完璧な誤解であった。先方の要求は「紙面を華やかにするために figure を colorize しろ」であった。写真や概念図であれば喜んでカラー化するが、論文に付された figure のほとんどが 2 群間を比較する棒グラフであり、白黒で充分である。というか、白黒が一等明瞭である。彩色することに scientific な意義は寸毫も見出せない。

一人の研究者として、できることなら塗りたくない。しかし、一人の業界人としては、論文を publish するため (= 業績を稼ぐため = 研究費を獲得するため) に塗らねばならぬ。困った。カラー化することに何の意味もないから、何色を塗れば良いか判断がつかぬ。そしてそんなことに頭を悩ましている自分に腹が立つ。何という時間の無駄か。

また愚痴になってしまった。

近頃は本当に寒い。我が家は古い建物で、恐らくではあるが、部屋の内壁と建物の外壁が一体化している。外の寒さが壁を通して伝播してくるので、エアコンを付けてもヒーターを焚いても、一向に部屋が暖まらない。おまけに床は——フェイクではなく——板張りである。そんなところに薄っぺらい布団を直に敷いているものだから……、いや、これも愚痴であるな。

以前より日本史は好きであったが、ここ数年の関心は専ら近現代史に集中している。この数日で、華族、日露戦争、瀬島龍三についての本をそれぞれ読んだ。

「歴史上の出来事」を現在から過去に遡って証明することはできない。である以上、テキストとしての歴史は物語にならざるを得ないというのが私の主張である。今思えばこれも唯我論的主張ではある。私が触れ得ないものは確と知り得ない。これは不可知論でもある。

さて、とはいっても、「歴史があったこと」は動かし難い事実である。私という存在がそれを担保する。唯我論的に極言すれば、「世界は 5 分前にできた」といえないこともない。しかし私はそこまでの懐疑論者ではない。歴史があったであろうという実感は抜き難くある。この実感というものが非常に重要である。そう思えるようになってきた。形而下というにはあまりにも生々しい、この実感という場所から考えていく他はない。〜論的な発想が先行するわけでは決してない。理論は私の実感に便宜上の名前を付けるだけのものであって、それ以上のものではない。

話が逸れた。とにかく、「私との接続」という観点で近現代史に興味を覚える。接続しているというのは幻想かもしれないが、今はそれを確認する知識もない。たかだか 100 年前までのことについて、我々は驚くほど何も知らない。そんなことをいえば、500 年前のことも 1000 年前のことについても全くの無知なのだが、これらの時代についてはほとんどが原理的に「知り得ない」のに対し、近現代については知り得ることが多くある。同じ歴史といえど、もはや別ジャンルといっても良いくらいだ。遅ればせながら、その魅力に目覚めたところである。

2009/12/18/Fri.

寒さが苦手な T です。こんばんは。

研究日記

再投稿していた 3 本目の論文に対する返事が届いた。ファイル形式の変更を要求されただけで、事実上 accept されたといえる。

昨夜は忘年会で馬や鹿を食べてきた。参加者はボス、長男 Y 君、M 先生、S 科 K 先生、秘書女史、テクニシャン S 氏、研究員嬢、元隣の研究員嬢、テクニシャンの U 君と Y 君。寒風が厳しかったのでタクシーで帰宅した。週末には雪が降るという。

読書日記

一時期は読破した全ての本について評を書いていたが、この 1 年はサボりにサボり、よほどの内容でない限り言及しないようになってしまった。

我が読書生活には、寝床や電車内などで読む「暇潰しのための本」という括りがあり、これらの大部分はわざわざ紹介するほどのものではない。そういう理由もある。

それでも中には面白いものがあり、最近では吉田戦車『なめこインサマー』『吉田観覧車』を愉快に読んだ。『吉田自転車』『吉田電車』に続くエッセイ集である。非常にスマートな文章でありながら、しっかりと吉田テイストが練り込まれているのが素晴らしい。これに例のシュールなイラストまで付けているのだから反則である。

森達也『それでもドキュメンタリーは嘘をつく』には色々と考えさせられた。その内容とは全く別の話だが、左がかったオヤジの文章に見られる、妙に若作りの、ベトベトと粘着するような文体は何に由来するのだろうか。大塚英志などもそうだ。どこかにオリジナルが存在するのだろうか。

2009/12/14/Mon.

人間には 2 種類があって——、という導入は好まない T です。こんばんは。

どうも唯我論的な在り方と唯物論的な在り方があるらしい。前者はアプリオリに「私」があり、その認識の結果として世界がある。いわば「私があって世界がある」という人種である。後者は先験的に世界があり、その中に「私」というものが誕生する。つまり「世界があって私がある」のである。

唯我論的な人間にとって世界は自己の表出でもあるから、わざわざ足を運んで何かを見聞することに高い価値を覚えない。彼が探検するべきは「私」の境界面 (この膜状に世界が顕現する) である。これは「私」内部の運動や構造に大きく影響されるから彼の冒険は自らの内側に向かう。彼は彼独自の規則を遵守し、ときに錬磨することでその世界を豊穰にする。

唯物論的な人間は広大な世界の中に存在するから、彼はあちこちへと運動することによって世界を吸収し生の充足を得る。この世界は緻密に構成された秩序から成り立ち、「私」もまたそれに則って存在する。したがって世界を観察することでその一要素である「私」に対する理解も深まる。この共有される規則をときに科学ともいう。

唯我論的な在り方を唯物論的な方法で理解しようとしたり、唯物論的な在り方を唯我論的に捉えようとするあたりに、この日記の垢抜けない煩雑さがあるのではないか。己の感覚に理屈を付けようとしたり、サイエンスをやりながら「でも違うんじゃね?」と自問したり。例えば俺はテキストを記号だと思う一方で言霊というものも信じてもいる。そして記号にも霊性が宿るとも想っているし言霊にも明らかになっていない理論があるのではと考えてもいる。かけ離れた二つを結合したいという願望もあるし、両者はコインの裏表で実は一つのものなのではないかという予感もする。

要するによくわからないのである。

2009/12/08/Tue.

ここ数年の自分の興味の在り方が具体的に理解できるようになった気がしつつある T です。こんばんは。

以下は、そのこととはとりあえず無関係である。

悲劇

創作物中の悲劇は、まさにそれが悲劇であることによって鑑賞者に感動を呼ぶ。一部の鑑賞者にとって、悲劇は称賛の対象であり羨望の的にさえなり得る。この傾向を現実にまで持ち込むと中二病になるのだが、それはともかく、それでは作中における悲劇とはいったい何であろうか。作中の悲劇が鑑賞者の感動に奉仕するのなら、現実レベルでは「悲劇はどこにもない」ということになる。果たしてこれは悲劇なのだろうか。また、作中の悲劇が鑑賞者の悲劇になるような悲劇は創り得るだろうか。そのような悲劇はどのような構造を有しているだろうか。あるいは、いかなるメディアによって成立するのだろうか。

孤独

孤独が人を絶望させるのは、その絶望が他者に届かないからである。そして、絶望が他者に届かない状況を孤独という。このようなトートロジーが孤独の性質である。孤独は伝達不可能であるから、私が孤独でない限り、私にとって、この世界に孤独は存在しないことになる。これは本当だろうか。伝達不可能な、この孤独という状況を表現する方法があるだろうか。

悲劇同様、作中の孤独は鑑賞者と共有されることによって現実には孤独ではなくなる。そも、作中の孤独は制作される時点において作者に観察されていると考えられる。敷衍すれば、孤独な人間を一方的に観察することで、彼の孤独はそのままに、我々は彼の孤独を現実に知覚することができるともいえる。一般に、作中の孤独は鑑賞者の共感を喚起するように描かれる。結果としてそれは孤独でなくなるわけだが、それでは、鑑賞者の共感を全く拒否することによって作中の孤独を孤独として成立せしめることは可能だろうか。鑑賞者に何の想いも起こさぬ孤独を描写する技法とはどのようなものだろうか。また、そのような孤独を創作する意味とは何だろうか。

蛇足

以上は主に小説を想定した簡単な考察である。悲劇、孤独の在り方については、わざと作中レベルと現実レベルを混同して書いている。というのも、私は基本的にテキストを記号だと思っているので、「作中の悲劇・孤独」といえども、それは鑑賞者の脳髄に発生していると考えるからである。つまり「作中レベル」というのは言葉の綾で、これは「実際に」「読者の頭の中で」起こっている「現実」であると解釈する。その作品が悲劇性を有するかどうかをテキストから機械的に判定することは不可能だろう。

自分の頭の中で展開された悲劇を、また別の自分が観賞し、結果として感動する。したがって、「なぜ感動するのか」という問いは、悲劇の断片と感動の断片を繋ぐ個人的な規則を探究する自己の分析である。「なぜこの小説は悲劇的なのか」という問いは、あるテキストを悲劇と判定する——これは、外界刺激に対する恣意的な反応に過ぎない——法則を追求することである。つまり、全ての評論は自己分析である。

悲劇も、悲劇による感動も、その悲劇がなぜ感動を呼ぶのかという分析も、全て一つの頭蓋の内側で繰り広げられる現象である。私の外部にあるテキストというモノに悲劇性などが宿っているわけではない。と、私の考えは唯我論的である。同じことを執拗に書いている内に、ようやくそういうことがわかってきた。

2009/12/01/Tue.

チャンピオンとは不思議な存在だと思う T です。こんばんは。

「チャンピオンを倒した者が次のチャンピオンになる」という帰納的な定義がチャンピオンという立場をユニークなものにしている (初代チャンピオンはいかにして生まれたのかという疑問はさておき)。代々のチャンピオンを接続するこの継時的な性質——第 n 代チャンピオンと第 n + 1 代チャンピオンは「必ず」「直接」戦っている——は、トーナメントにおける優勝者のような一回性のそれとは自ずから異なる。トーナメントは一回々々が断絶しており、各優勝者は独立している。

例えば「元チャンピオン」とはいうが「元優勝者」とはいわない。このような言葉の使い分けは非常に面白い。他の言語ではどうなっているのだろう。この種の疑問に答えられる力が本当の語学力だと思うが、今は話を戻そう。

チャンピオンの対戦者は常に「挑戦者」であるが、前回トーナメントの優勝者といえども、次回トーナメントにおいては単なる一参加者に過ぎず、対戦相手とは常に同格である。参加人数が中途半端なときにシード権を与えられるのがせいぜいだろう。

チャンピオン制によって運営される競技はボクシングが最も有名だろうが、囲碁・将棋における名人位などのタイトルもチャンピオン制になっている。なぜだろう。これも興味深い問題である。

その性質上、チャンピオン制においては「ベルト」や「名人位」が「防衛」されたり「奪回」されたりする。「奪う」という表現に象徴されるように、チャンピオン制とはつまり王政なのである。さしずめトーナメント制 (リーグ制もそうだが) は共和制だろうか。

王座は奪われる運命なので、彼がチャンピオンでなくなったとき、手元にベルトは残らない。優勝者が自宅にカップやトロフィーを並べているのとは大きな違いである。だからこそチャンピオンは栄光に包まれる。チャンピオンがいつか全てを失ってしまうのを皆が知っているからである。だからこそ「元チャンピオン」なのだ。彼はもうチャンピオンではない。優勝者が死ぬまで「第 x 回優勝者」であり続けるのとは違うのだ。彼は「チャンピオンであった」だけの、ただの人である。チャンピオンであったことを証明するものはない。ベルトはいつも現チャンピオンの手にある。

さて——。

よくわからないのが相撲における番付制度である。横綱はチャンピオンではなく優勝者でもない。横綱という身分は、彼が戦う期間において有効であり続けるからチャンピオン的ではある。「元横綱」という表現もある。しかして彼は、一回々々の場所 (リーグ制の変種と捉えれば良いのか?) において他の参加者同様に土俵に上がる。そして、その場所で最も白星の数が多かった者が「優勝」する。だが、「2009 年大阪場所優勝者」とは決していわない。

ある期間における優勝回数などが横綱昇進の目安とされる。したがって、横綱という称号は棋界における永世名人的なものと考えることもできる。功労賞のようなものだろか。