- 様式論

2009/04/11/Sat.様式論

洗濯は「畳む」より「干す」方が面倒だと思う T です。こんばんは。

以下は文章に関する雑感であるが、文章に限った話でもない。

良いモノを作るには孤立が必要なようである。これは孤独とは違う。他者からの影響を排除するということである。これは摂取の制限とは異なる。物事を吸収しながら、大いに感化されながら、しかして自分の表現からはその影響を排除するのである。この繰り返しが様式を生む。これは創造者独自のものである。

(その独自性ゆえ、表面的な様式を他者が真似るのは容易である。これを剽窃という。剽窃は悪ではないが、様式論的には興味のあるものではない)

規則は厳格に適用されるべきである。一方、規則は柔軟に変更されるべきでもある。規則の適用および変更もまた、より上位の規則によって運用される。階層化された規則によって生成される系が様式である。規則を上位に遡ると、書き手の人格や倫理に辿り着く。「なぜそういう規則なのか」という問いには、人間性を持ち出さないと答え得ぬからである。文章が書き手の人格を反映する理由である。

孤立しているほど他者からの夾雑物が少なく、規則が厳格であるほど伝達が直截になる。結果、文章に投影される書き手の純度が高まる。個人の人格は unique にして尊貴であるという主義に立つなら、上記のごとき文章は「個性的である」といえる。現代社会はこれを善しとする。「良い文章」についての話は、およそ以上のように集約される。

一々に註釈を加えるとキリがないので短くまとめた。各論については機会があれば書く。「様式の独自性」「規則の適用と変更」「個性の反映」などは重要な問題である。これは同時につまらない問題でもある。結果として個性的なのか、個性の表現が目的なのか、前提が曖昧だからである。仕事ならば前者が望ましい。アートの在り方は後者だろう。手段と目的を取り違えれば、優れた様式も役に立たない。