- 昆虫的

2009/03/23/Mon.昆虫的

有給休暇を温存したまま今月末で現職を辞する T です。こんばんは。

研究日記

3 月 18 日 (水)。テクニシャン嬢、M 先生、先輩研究員女史の送別会。テクニシャン嬢は結婚、M 先生は栄転、先輩研究員女史は旦那の栄転に伴う引っ越し、ということで実にめでたい。参加者多数で大いに盛り上がる。

3 月 19 日 (木)。テクニシャン嬢の最終日。夕方から病院に行き、お世話になった諸氏に挨拶。夜はボス、秘書女史、元隣の研究員嬢と一緒に食事をし、テクニシャン嬢の門出を祝う。

3 月 20 日 (金)。大阪国際会議場で学会。京阪電鉄中之島線ができてアクセスが便利になった。午後のセッションで発表。だいぶ英語の発表に慣れてきた。スライドの枚数を大胆に削るのがコツか。日本語の発表と同量のデータをプレゼンテーションしようとすると上手くいかない。細かいデータを省いておくと質問もされやすく、気まずい雰囲気にならなくてよろしい。

3 月 21 日 (土)。引き続き学会に参加。夜は中之島近辺で食事。山梨の玉葱が美味かった。

本日は有給休暇を取っていたのだが、業者がメーカーの方を連れてきて下さるので午前中だけ大学に行った。事務的なメールを書いて、昼には退出。

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四足歩行のロボット。障害物を乗り越えたり、雪や氷の上を歩いたりと、バランス感覚が素晴らしい。

全くの憶測だが、このロボットの歩行アルゴリズムは昆虫的なアプローチを採っていると思われる。「昆虫的」というのは個人的な用語で、無理に言語化するならば、「目的達成の手段として、基本的に記憶・推測・思考・学習などを用いず、単純な条件の機械的な組み合わせのみに頼るが、客観的には複雑かつ洗練された行動様式を見せる合目的的システム」とでもいうべきもの (あるいは性質) である。一言で「反射的」といっても良い。走性はその簡単にして代表的な例である。

恐らく上記のロボットは、カメラの映像から障害物の存在を知覚して「次の一歩は足を高く上げよう」などと「考えて」いるわけではない。このロボットがしていることは、

そういう単純な繰り返しではないか (障害物を登るシーンを見るとわかりやすい)。このロボットが観察して思考して判断しているわけではないだろう。このロボットでデリケートなのは、パラメータの設定やロボット本体のエンジニアリングだと思う。

自律的に学習するシステムは魅力的だが、仕組みがわかっていないものを工学的に作ることは不可能である。「結果として似たような現象」を作り出すことは技術で可能だが、だからといってそのシステムが対象の本質を反映しているとは限らない。「飛べるから」といってコウモリの飛膜を研究しても、鳥類の翼膜のことはわからない。人工知能や脳科学の一部にはこの種の怪しさが存在する。

この話題は「数学的モデルが自然現象をよく説明するのは偶然か必然か」という問いにも接続する。例えば、上記のロボットは、生物のを参考にして設計されたのか、それとも歩行を極めようとした結果として「生物的な」フォルムに行き着いたのか、——極めて興味深い。