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2008/01/11/Fri.Circuit

少し前の僕自身を眼前で見たような気になった T です。こんばんは。

といっても、それはあくまで僕の主観である。僕と他人は隔絶している。その自覚だけが僕と他者との距離を可能な限り縮めるだろう。理解したという誤解はスレ違って永遠の彼方へとねじれのベクトルを描く。結局は遠ざかってしまうんだよね。

鬱病について僕は何の知識もなく、その状態については想像するしかないのだけど、それすらほとんど不可能だし、そもそもそんな無責任なことはしたくもない。僕が唯一想像できるのは、その状態が発動する瞬間の変化だけだ。一度形成されたループ状の感情回路という仮想的な機構があって、何らかの刺激によってその回路が活性化される。スイッチが入った回路には延々と電流が流れ続ける。自分でコントロールはできない。そこから脱却するには、ただ何となく時が過ぎ去るのを待つしかない——。繰り返しになるが、あくまで僕の想像である。

活性化された回路を薬で鎮静することはできるだろう。でも、一度形成された回路を自由に消滅させたり改変したりすることは、少なくとも現在の技術では不可能である。トリガーが引かれればいつでも発射される。だから、根本的には完治しない。トラウマとか心的外傷後ストレス障害 (PTSD; post-traumatic stress disorder) とか、もっと一般的な気分の変化も、恐らく基本的には同じ現象なんだろうと思っているが、もちろんこれも僕の曖昧な知識と模糊とした想像によるものである。

脳は可塑的であるが、それが可逆的なものか不可逆的なものか (上書き保存なのか別名で保存なのか) は、定義にもよるのだろうけれど、わかっているようでよくわかっていない。あるいは情報の入力 → 出力という比喩はとてもわかりやすいのだけど、本当にそうなっているのか、という根源的な疑問もないではない。そういう捉え方で良いのか、と素人の僕は思ってしまうことがある。

答えのない悩みを悩むことに意味はあるのか、という問い掛けにもやはり回答あるいは意味がない。比較的はっきりしているのは、回路はその使用によって増強されるということだ。ある思考の回路がギンギンに強化されたときに見えてくるものがあるかもしれない。わからない、というのは、可能性はある、ということでもある。