- 実験も科学的ではあるだろう

2007/11/16/Fri.実験も科学的ではあるだろう

今週は割と実験をした T です。こんばんは。

隣のバイト君は工学部の計算機科学だか情報処理学だかの学部生なのだが、彼がしきりに「実験が〜実験が〜」と言っていたので不思議に思ったことがある。訊いてみると、計算機でシミュレーションすることを彼の分野では実験というらしい。わからんでもない。が、ピペット土方である実験屋の私としては何となく違和感を覚えたりもする。

生物学にも in silico という言葉はあるが、それは prediction であったり screening であったりする感が強い。何かを言わんとすれば、最終的には「実験」が求められる。あくまでシミュレーションはシミュレーションであって、fact ではない、というのが基本的な姿勢。バタフライ効果がある限り、シミュレーションは科学的ではあっても科学そのものにはなれない。これは「統計学は手段として『科学的』ではあるが、それ自体は決して『科学』ではない」のと同じことだ。だからといって価値がないわけではない。そこははっきり断っておく。

さて、それでは私が従事する「実験」にも批判の矛先を向けてみよう。「実験」を「何らかの自然現象を捕捉する行為」と定義する。その上で、私が日々励んでいるような「実験」がシミュレーションや統計とどう違うのかと問われれば、実のところ咄嗟には返答しかねる。

例えば、細胞から抽出したタンパク質を SDS 化して立体構造を破壊し、抗体と反応させることによって視覚化される小汚いバンド 1本。果たしてこれは fact なんだろうか。非常に心許ない。何らかの現象の反映ではあるだろう。でも、現象そのものではない。現象から一歩離れることによって目にできる、一瞬の煌めきのようなものだ。シミュレーションが、メキメキと高度かつ複雑化することによって現象そのものに近付こうとするのとは逆のベクトルである。私の「実験」観というのは、どうやらこのあたりに源があるらしい。

それで、だ。ここでいう括弧付きの「実験」も「心許ない」ということになると、「じゃあ科学って何よ?」という話になるのだが、長くなりそうなので、それはまた今度。