- 学会は何のため、誰のもの

2007/09/10/Mon.学会は何のため、誰のもの

阪神の首位奪回に 1人で湧いている T です。こんばんは。

土曜の夕方に東京駅でジョー兄と落ち合う。実際に会うのは約2年ぶり (他の連中にはもっと会ってない)。茶をシバいて一服してから、適当に呑み屋へ。仕事の話を中心に、色々と伺う。義兄弟とかいって、普段はお互いに全く連絡がないからね。それで充分なんだけれども。で、多群兄についての噂も色々と伺う。にはふ兄は最近どうしているのか、という話になったので、急遽電話。色々と伺う。皆、何だかんだと動きがあって、話が盛り上がる。近い内に総会を開かねばな。年末に関西のどこかで、ということだけは決まった。

その後、私の携帯電話が壊れる。アンテナを認識しなくなったようで、「圏外」の表示すらされない。私はホテルの予約もせずに来たのだが (バカ)、ジョー兄が携帯電話のネット検索で探してくれた。感謝! 無事に神田のビジネス・ホテルで就寝。

翌朝は 6時に起きて千葉の学会場へ。ポスター発表をして、午後には新幹線に乗って京都へ。いささか疲れたが、ジョー兄に会えたのは収穫だった。また呑みましょう。

学会のことについて少し

学会は会員の参加費によって運営されるわけであるが、学会員のほとんどが何らかの公的機関の人間であること、また多くの場合、彼らの支払う参加費が研究費から拠出されることを考えると、学会のかなりの部分が税金で運営されていることになる。したがって、学会はもっと一般市民に公開されるべきではないのか、という議論が成立する。あくまで考え方の 1つで、私がそのように思っているというわけではない。

さて、現在、学会発表を活性化させるため、多くの学会では発表者にディスカウントが適用される。単に聴講するだけだと、より多くの参加費を払わねばならない。これって逆じゃないのか、というロジックもあり得る。発表者は金銭を支払って、市民に自分の発表を「聴いてもらう」(ノリとしては、論文の publish や offprint に金を払う感じ)。学会員は、自分が関わっている学問の発展のため、会費を払って学会を運営する。これらの成果は国民に無料で開陳される。

とまあ、理想を語るのは簡単だが、なかなかそういうわけにはいかないだろう。学問にはある一定の水準が要求されるべきだし、国際的な競争もある。また、あまりにも公的な姿勢を前に出し過ぎて自由が失われる恐れも存在する。

だからといって、内輪ばかりが集まる小さな会を、毎年遊興地の近辺で開催するという (一部の) 学会のあり方がいつまでも罷り通るとは思えない。多過ぎるんだと思うよ、学会。