- 投票は手段であって目的ではない

2007/07/30/Mon.投票は手段であって目的ではない

今日は移動が多かった T です。こんばんは。

私が昨日の選挙に投票したのかどうか、それは書かないでおく方が、以下の議論を客観的に読んで頂けるのではないかと思う。

投票は手段であって目的ではない。投票は、「民意を問う」という民主主義の目的を達成するための手段である。目的を達成したいのならば手段の改善に手を尽くすべきだ。「とにかく投票に行け」という自己目的化は、「とにかく残業しろ」という言葉によく似ている。業績が残業以外の手段で容易に向上する (し得る) ことは、皆さんよく御存知だと思う。投票率も同じなんじゃないか。

投票は権利であり、その中には「棄権」という選択肢も存在する。明白に棄権を表明するには白票を投じるのが正式なのだろうが、「白票を投じる価値もない」というのもまた「意見」である。「貴様など刀の汚れだ。斬って捨てるまでもない」ということだな。要するに、投票率 60% は棄権率 40% と同意である。これもまた民意だ。ただ、棄権した人はテーブルを立っているので、彼らの意見は無視される。それはそれで当然だと思う。

民主主義の目的は「民意を問うこと」だが、これはまた同時に、単なる政治の一手段でもある。民意に沿うことが政治的に賢明なのかどうか、これは古来から議論が別れるところだ。そしてまた政治も、ある目的に対する一つの手段に他ならない。「私は幸福になれるか?」。政治が良くなることと、私が幸福になることは必ずしも同値ではない。私が幸福になる政治 = 良い政治だと定義するのは勝手だが、普通、そういう概念を「政治」とは呼ばない。

投票に行くのをサボって、漫画を読んだとしよう。その漫画を読んだことで私の世界はグッと広がるかもしれない。あるいは私が投票しなかったばかりに、私にとって不利な政策が通るかもしれない。どちらも可能性の問題である。冷静に考える限り、前者の方に分がある。恐らく昨日の日本列島で、投票に行った人よりも、行っていない人の方が幸福だった確率は高い。

といっても、これは「棄権のススメ」ではない。投票はした方が良いに決まっている。当たり前のことだ。だからといって、投票しなかった人を責めるべきではないし、投票しなかったことを恥ずかしがる必要もない。まァ、投票しなかった人は政治にあれこれ文句を言うべきではないと思うけれど。ルールを変更したかったら、現行のルールに則ってアクションを起こすべきだ。それが政治の唯一のルールである。この手続きを踏まないとテロリズムになる。テロはよろしくない。

以上、「とにかく投票」という主張について議論した。投票するかどうかは自分で考えて決めれば良い。自分の考えを行動に移すのが政治の第一歩である。ただ、政治的であることが私の幸福に直結するかどうかはわからない。自分の幸福を求めることが正しいかどうかもわからない。難しいね。