- 笑いの批評

2007/04/06/Fri.笑いの批評

天候不順で桜がイマイチなのが残念な T です。こんばんは。

半年ほど前に職場の近くにできた居酒屋がずっと気になっていて、以前から行こう行こうと思っていたのだが、今夜ようやく、研究員嬢およびテクニシャン嬢 2人と一緒に訪れる機会を得た。メニューは魚がメインで、その日に仕入れたものを日替わりで出しているようだった。なかなか美味い。好きな魚が出ている日に、また来てみよう。梅酒が美味かったが、銘柄を尋ねるのを失念した。私の大学院入学祝いだとかで、奢ってもらう。御馳走様。

お笑い好きという人種

お笑い好きという人種がいて、マイナーな芸人の細かいネタなどをよく知っている。「これは面白い」「あれはサブい」などと、なかなか的確な批評を展開したりもする。しかしこの手の人間が、自身で何か面白いことを言ったりしたりするかといえば、あながちそうでもない。お笑い好きで、本人も芸を披露する人、というのは少ない。

人前で何かのネタを披露する performer と、それを鑑賞する audience は全く別のもので、前者は後者の気持ちを把握できるが、後者が前者を理解するのは困難である。どちらが偉いというわけではないが、しかし少なくとも関西では、あれこれ批評するお笑いマニアより、その場で何か面白いことを言える芸人タイプの方が尊重される。

笑いを取るためには、ある点で自分を貶めなければならず、これができるかできないかは、その人の人間性を忖度する上で実に貴重な示唆を与える。自分をネタにできる人は、自分に自信がある人である。面白いことを言える、頭の回転の早い人間が「俺アホやから」と自虐するから安心して笑えるのであって、本当にバカな奴が「俺アホやから」と言ったりすれば、誰もリアクションが取れずに場が凍りつく。

ユーモアというのは余裕や余力から生まれる。それは例えば、孔雀の雄が華々しい羽を見せびらかしながら生き延びているのと同じであって、芸人がモテるのもこのあたりに理由があると思われる。

笑いの批評は相当難しいよ。自分自身が面白い人間でなければ、何の説得力もない。よほどのことがない限り、笑いの批評をして得をするということはないから、止した方が良い。