- 科学研究費の年度末報告書は一般に開示すべき

2007/04/03/Tue.科学研究費の年度末報告書は一般に開示すべき

PDF の編集で発狂しそうになった T です。こんばんは。

Word って使いやすいよね……。

研究日記

年度は明けたが、まだまだ書類仕事は残っている。今日は報告書 1つと、申請書 1つ。

このような、研究に essential ではない書類は、俗に「作文」と呼ばれて嫌われている。作文とはよくいったものだ。これは「相手が (暗に) 求めている文章を作る」作業である。「(暗に)」というのがポイントだな。これをいかに察するかが作文の神髄である、という点では、まさに国語の作文と同じである。

厳しい言い方をすると、国語の作文で求められているのは、出題者の意図を読み取る能力であって、言語能力そのものではない。例えば「核兵器万歳!」という趣旨の小論文を、論理的かつ美麗な文章で書いたとして、果たして何点が付くのだろうか。もしも「核兵器万歳!」という内容によって減点されるのなら、それは国語の試験ではなく、思想か道徳のテストになってしまう。

現在、道徳を教科として採用するかどうかが論議されている。反対派は「道徳に点数を付けるのは無理だ」と言っているが、既に国語の作文においてはそのような行為がまかり通っている。今更、という感じなんだが。

報告書に話を戻そう。報告書は、税金を財源とする研究費を用い、この 1年間でどのような研究を行ったかについて報告する書類である。税金で研究を行うことに私は感謝の念を抱く者である。したがって、報告書の作成は義務である。これは偽りなく思う。問題なのは、この報告書を役人が読んで (読んでいるのかどうかも怪しいが)、一般には開示されないところにある。この点でも、報告書は作文である。採点者しか読まない。採点されるためだけに書く。これでモチベーションを上げろという方が無茶だ。

捏造や研究費の不正流用が厳しく取り上げられる中、報告書を廃止するというのは、ちょっと考えられない。したがって、どうせ報告書を書くのなら、一般に開示すべきだと思うのだが。若者の「理系離れ」とやらが進んでいる現在、現場の研究者が何をしているのかを知る、良い機会になるだろう。理系の本当に面白い部分は、教科書の中にはないぞ。