- 書斎論 (1)

2007/01/04/Thu.書斎論 (1)

実のところ、自分の部屋を「書斎」と呼称するのは小っ恥ずかしい T です。こんばんは。

処理状態による本の分類

正月の間に増えた本を片付ける。だいぶ以前から、数冊を平行して読むという癖がついてしまった。帰省するときは、読みかけの数冊と、新しく読む (かもしれない) 数冊を持ち帰った。それでもなお、地元の本屋と古本屋で 20冊ばかりを買い漁るのだから正気の沙汰ではない。アホか。

現在、我が家の本は 6つに大別されている。

  1. 本棚に安置済み。
  2. 既読。書評済み。本棚の整理待ち。
  3. 既読。書評待ち。
  4. 読みかけ。
  5. 未読。Book List には登録済み。
  6. 買ったままの状態。

2. は、カバーを外した状態で床にある。50冊くらい。3. は机上。約10冊。4. はカバーをを付けた状態で机上や枕元や通勤鞄の中にある。カバーを栞代わりにしている (分厚い本の中盤だと厳しいが)。合計で 10冊弱。5. は、帯やら折り込みチラシを捨てた状態。30冊くらいある。6. も 30冊くらいか。書店の袋に入ったまま。一応の区別は付く。

実家にあったカタログハウスの『通販生活』に、本を寝かせたまま積み上げる本棚というのがあって、非常に欲しくなった。金属製のシンプルなやつで、これに未読本を積み上げたら、さぞや読む気が湧くだろうと思われる (実際に買っている人の使用目的も、大半が未読本の積み上げであった)。値段は確か 2万超だったか。モノが良いことはわかるが、少々高い。

書斎は紙ばかりである。本以外にも、論文のコピーだとか、2度と開かないであろう学会誌などで溢れ返っている。いざというとき、これらを捨てればかなりのスペースが空く、という妙な保険意識もあって、今は増えるに任せている。しかし恐らく、相当のことがないと捨てないと思われる。

私が「書斎」を求めた理由

私は読んだことがないのだけれど、渡部昇一『知的生活の方法』にはこんなことが書いてある、と梅田望夫が書いている。

「知的生活の方法」(渡部昇一著): 重要な本の置き場確保

知的生活を送るには金がかかるものなのだな。働いて稼いでうんと資産を作らなくては、満足な知的生活を生涯送ることってできないんだな。

七〇年代後半にベストセラーとなった渡部昇一『知的生活の方法』(講談社現代新書)が多くの人にどう受け止められたのかは知らないが、少なくとも高校生の私の心に焼きついたのは、そんな教訓であった。

「知的生活とは絶えず本を買いつづける生活である。したがって知的生活の重要な部分は、本の置き場の確保ということに向かざるをえないのである。つまり空間との格闘になるのだ。そしてこの点における敗者は、知的生活における敗者になることに連なりかねないのである」

蔵書を持ち続けることの重要性を説く渡部は、戦時中に蔵書をあっさり処分した著名な外国文学者を、本書の中で厳しく糾弾したりもしている。

東京での生活を引き払ってシリコンバレーにやってきて十二年が過ぎた。高校生の頃から「知的生活を生涯続けること」を目標にしてきた私は、無意識のうちに「空間との格闘」を続け、知的生活を送るための「広い空間」を求めて、アメリカに来てしまったような気がする。毎年千冊ずつ増え続け、すでに一万五千冊を超えた蔵書を維持できる「広い空間」は、日本では求めても得られなかったからである。

(My Life Between Silicon Valley and Japan - 「ぼろぼろになるまで読んだ四冊の本」)

だよなあ。本は捨てられない。私も以前に、「書籍が文化的遺物となる日のために」という日記を書いた。就職して部屋を選ぶにあたり、少々の無理を承知で「2部屋」という条件に拘ったのも、渡部のいう「空間との格闘」に他ならない。幸い、条件の良い物件に出会えたから良かったが、そうでなくとも必ず広い部屋に移り住んだろう。

敷地面積は譲れない、予算は決まっている。となれば、理想の物件はドンドンと郊外へ向かっていく。便利な生活がしたければ、稼いで稼いで予算を上昇させるしかない。まァ、郊外へ移ったとしても、長くなった通勤時間の間に本を読むだろうけれど。ホントに病気である。

誰もが持っているだろうけれど、私にも「夢の家」のイメージがある。私の場合、全くの理想ではなく、やや具体的であり計画的である。「書斎を持つ」というのは 20代の夢であり、まずは叶えた。次は「書斎」とは別に「書庫」のある部屋 (家) に住みたいと思う。そのためには相当の本を読まねば格好が付かない。別に書庫を作るために読書をするわけではないが、つまりこれは、「それだけの本を読む・それだけの稼ぎがある自分」というイメージであり、複合的な目標でもあるわけだ。

書斎の主人たる条件

ハーレー・ダビッドソンの話を思い出したので書いておく。「ハーレー・オーナーには 3つの力がいる」という。曰く、財力・体力・魅力である。ハーレーは高額である。購入、維持、カスタムするには財力がいる。ハーレーは大型のアメリカン・バイクである。操るには体力がいる。そしてハーレーは名車である。オーナーたるもの、ハーレー負けしない人間的魅力が必要である。そんなものはなくても乗れはするが、要するにダサくなるわけだ。したがって、ハーレーに乗るためには、この 3つを兼ね備えた自分を準備せねばならぬ。これはなかなか容易ならざる課題だ。そういう話。

同じことが、書斎についてもいえるのではないか。書斎を整えるための財力。書棚を埋め尽くす蔵書。そして部屋の主人の知性。一生の仕事だな、と思う。今年も書斎道に励むことにしよう。

などと簡単にまとめたところで、明日に続く。

研究日記

病院。

ボスから論文が返ってきているかも、と思ったが、音沙汰なし。やることがない。来週からの計画を立てたりして、早々に帰宅。明日は何をしよう。皆で飯でも食いに行くか。