実験がしたい T です。こんばんは。
病院。
引き続き論文書き。Materilas & Methods で、書くのが面倒な所を「as described previously」とか「according to manufacture's instruction」で済ましていたら、ひどく短くなってしまった。しかし考えてみれば、新しい手法を開発したのではない限り、全てはどこかに「described previously」なわけで、せいぜいがベクターの名前を入れ替えるとか、ボリュームを変更するとかだけでお茶を濁すこともできる。色々な論文を見て回ったけれど、Materials & Methods の文量にはかなり差がある。極論すれば、特別な実験をしない限り、まァどうでも良い、とすらいえる。そんな所ばかりこねくり回しても仕方がないのだが。せめて Results を書くか。
母語ではない言語で論文を書くというのはもどかしい。根本的なモチベーションの拠り所は、論文が publish されれば業績になる、とかいう以前の、文章を読んだり書いたりするのが好きかどうか、という点にあるのではないか。たとえ無意識にしろ、もっと良い文にならないか、さらに適切な表現はないか、という根源的な問い掛けがない限り、英語論文を書く気力なんて続かない気がする。文章を書くのが嫌いな人には、苦痛以外の何物でもなかろうと想像する。
基本的に、理系の人は読んだり書いたりするのが好きな人間が多い。ちょっと貴方のブックマークを覗いてみてほしい。登録されている blog や日記の作者には、意外なほど理系が多いのではないか。客観的に見て、ネット上の理系率は現実のそれよりも高い。
理系文系論なんて下らないので止めにする。そんなヒマがあったら論文書け、と。先日買った VAIO がこんなところで活躍するとはなあ。Mac で書いても良いんだけど、遊びたくなるので。Win マシンを開くと、身体が「あー仕事だなー」と思うので、こういうときにはよろしい。
最近は意識して画像のある日記を心がけている T です。こんばんは。
はてラボが「はてなセリフ」というサービスを始めた。画像に任意の文章を挿入するジェネレータである。早速、先日の日記で紹介した「おぺらたん」に喋ってもらうことにした。
使い方によってはかなり遊べると思う。色んなサンプルがあるので、それを見ているだけでも楽しい。
病院。
午前中に妊娠マウスを解剖。胎児を取り出し、頭部と内蔵を除いた残り (MEF; mouse embryonic fibroblast) を培養する。これを feeder 細胞として使うわけだ。ES 細胞はこの feeder 細胞の上で培養する。マウス ES 細胞では non-feeder の培養法が確立されているが、霊長類 ES 細胞では、未分化状態を維持したまま培養するにはどうしても feeder 細胞が必要になる。必要なこととはいえ、マウスの胎児を粉々にするのは何度やっても気持ちの良いものではない。合掌。
引き続き論文書き。Results はともかく、調べれば調べるほど introduction や discussion が書けなくなる。難しい。
退職した臨床検査技師嬢に変わり、新たに臨床検査技師女史が採用された。簡単に挨拶をする。臨床データを整理するため、週に 2〜3日来られるらしい。
大学のテクニシャン女史が退職されるということで、夜は送別会に出席。女史は私の母親くらいの年齢の超ベテランで、実験の実際について大変詳しい。私が大学に寄るのは午前中や夜だけ、それも週に 2〜3度なので、あまり会話をする機会がなかったのだが、もっと色々なことを教えて頂きたかった。次の職場での御活躍をお祈りする。
仕事を休んだ T です。こんばんは。
あまりにも身体がダルかったので欠勤してしまった。病気ではなく疲労であることはわかっている。半日ほど眠り続けたら回復した。まどろみながら、様々なことを考える。こういうのも悪くない (あくまで私個人にとって、だが)。
まだ 12月を残しているが、今年は色んなことがあった。ある意味では就職 1年目の去年よりも激動の年だったかもしれない。まず、仕事が大変になった。先生が留学され、テクニシャン嬢 2人を預けられてからは特に荷が重くなった。「荷が重い」という感情を噯気にも出せないところが辛い。こういうことはすぐに伝わってしまう。この日記は貴重なガス抜きになっているが、誰かと存分に話したい、と思うこともしばしばある。職場に同年代の男がいないことが、重ね重ね残念だ。
もちろん大変なばかりではない。実験データも論文を書こうかというくらいには溜まったし、幾つかの学会やフォーラムで発表もできた。これから論文を書いて、試験に受かっていれば来年度からは再び大学院生となり……、オイ、むしろ大変なのはこれからではないか。
こういうときにいつも思い出すのは、自分が社会的に何者でもなくなった日だ。たった 1週間ほどの経験だったが、あれに比べれば他のことは大したもんじゃない。今となっては、あの経験が強力な背骨の 1つとなっている。イヤだの、疲れただの、忙しいだの、笑っちまうぜ。
疲労気味の T です。こんばんは。
来年の 3月で、一人暮らしも 8年になる。どこかで読んだ話だが、人間の身体を構成する原子は約8年間で完全に入れ替わるという。それまで母の手料理で構成されていた私の身体は、今や完全にラーメンだとかハンバーガーだとかコンビニ弁当に置換されつつある。体調が良いという方がおかしい。死んでないのが不思議なくらいだ。
それにしても、「人間の身体を構成する原子は約8年間で完全に入れ替わる」って、どうやって調べたんだろうか。考えてみた。
あり得ない実験だが、他に方法ってある?
病院。
細胞培養など。半年以上も前にやった実験の追試。プラスミドが劣化しているのか、luciferase assay で全く転写活性が上がらない。ベクターを取り直してもう一度やってみるか。面倒臭い。
来週の計画を立てる。11月も終わりか。年末年始はゆっくりとできれば良いのだが。
昨夜、『北斗の拳』を全巻買ってきた T です。こんばんは。
やっぱり泣いてしまった。1巻、バットの養母が死ぬというシーンで早くもウルッとしてしまう。こんなことではラオウが出てきたらどうなるか、わかったもんじゃない。涙腺を引き締めて読み続ける。それでも、シュウが死ぬ場面と、ラオウとトキの幼年時代のエピソードでは涙がこぼれてしまった。酒を呑んでいたからだ。と思いたい。
通読してみると、ラオウが死んだ後の話 (アニメ「北斗の拳 2」に相当) は、完全に惰性で描かれているのがよくわかる。カイオウが死んだ後は更にヒドい。手が抜いてあるというわけではないが、人気があったから終了させてもらえず、矛盾する後付け設定で延々とストーリーが続くという、少年漫画誌の悪しきパターンに陥っている。漫画大国日本というけれども、いまだに作品は「作者のもの」とは考えられていない。そのへんが小説あたりとは違う。本当に「文化」として発信したければ、こういうことはもう止めるべきだ。
PS3 を視察するために帰宅途上で家電屋に寄った……はずだったのだが、何故か VAIO type T を買って帰って来た。どちらも SONY の製品だけれども。何してんだ、私は。
MacBook と比べても相当小さい。これで学会に行くのも楽になる。今のマシンは重くて、シカゴに行ったときは往生した。
Pnasonic の Let's Note とどちらにしようかと迷ったけれど、圧倒的に VAIO の方がデザインが良かったのでこちらにした。Let's Note の方が高性能だったけれど、どうせ単なる PowerPoint 再生機だし。とはいえ、PowerPoint を使って学会発表するためには、これからも結果を出さねばならないわけで。元を取るために頑張るか。
病院。
細胞培養をして、来週の仕込みを少し。書きかけの論文を再読。いつものことながら、時間を置いて読み直すと頭が痛くなる。
心に 7つの傷を持つ男、T です。こんばんは。
久々の休み。掃除、洗濯、買い物。3段ボックスを 2つ買ってきたが、床に散らばっていた雑誌やら論文やらを詰め込んだら、ほとんどが埋まってしまった。
企業の研究所では、「論文は家で読め」と言われるらしい。確かに、勤務時間に論文読んで時間潰して給料貰う、というのでは払う方がたまらない。なので自分も、実験や事務が終わった時点で帰宅することにしている。家で勉強する方が快適、ということもある。今の職場で論文を読むな、とは言われないし、緊急の調べものがある場合はもちろんその場で読むけれども。
『北斗の拳』のオープニング、『愛をとりもどせ』と『TOUGH BOY』の 2つと、次回予告集 (段々とテンションが高くなるのが笑える)。
懐かしくて涙がチョチョ切れる。We are livin', livin' in the nineties. We still fight, fightin' in the nineties. 1980年生まれの私にとって、1990年代はまさに 10代そのものなんだよな (私の北斗体験は再放送による。1990年代に関西で何度も何度も再放送された)。
アニメのオープニング/エンディング/次回予告のシステムというのは面白い。この枠は本編と独立し、独自の文化を持っている。『サザエさん』なんかは、本編よりもオープニング/エンディング/次回予告の方が見応えもあるし面白い、という倒錯した状況ですらある。毎回毎回繰り返される、というのもポイントだな。幼少期における刷り込み効果は激しい。
カラオケ行きたくなってきた。それとも漫画を全巻買ってくるか。マジメな話、子供の時より今の方が『北斗の拳』をよく理解できる気がする。リンの涙を見て、そんなことを思った。どうも最近涙もろいので、『北斗の拳』なんか読んだら号泣するかもしれない。
詳しくない分野について根拠のない論旨を展開してみる T です。こんばんは。
ちまちまとサイトを改造中。凡ミスを連発。自分のサイトが図らずもブラクラ化するのはとても悲しいことだ。
昨日の続きで、今日は「Mac たん」。
どうでも良い話だが、「Mac OS」というのは最近の名称で、以前の OS (日本語版) は「漢字Talk」という、ちょっと信じられないような名前だった。今見るとスゴいセンスである。漢字Talk。本当に Apple が付けた名前なんだろうか。ギャグにしては先が尖り過ぎている。
萌えについては門外漢だが、少しだけ。
擬人化についてボンヤリと考えていたのだが、いわゆる行為としての「萌える」というのは、対象の次元を上げる行為ではないか。抽象的な事物を具象化するというね。小説のキャラクターを絵に起こす、漫画のキャラクターを動かす、喋らせる、アニメのキャラクターを立体に起こす、リアルの人間がコスプレをする。この手の趣味は「2次元」というふうに揶揄されているが、むしろ積極的に次元を上げている。というのは私の誤解なんだろうか。
このようなベクトルは歴史的にあった。例えば人形というのは、古典的なアイテムだろう。身近に置きたい、手に取りたい、視覚化したい、物質化したい、というのは極めて普遍的な人間の欲求である。極端な話、仏像がそうだな。そう考えると、『見仏記』で仏像に萌えていたみうらじゅんのセンスというのは、大変な先取りである。やはりタダ者じゃない。「……って本当は〜なんだよな」という基本的なフォーマットがここにある。少なくとも、萌えない私にはそのように見受けられる。
近年の萌えブームは、テクノロジーとコミュニケーションの発達、それからコストの低下によって、具象化の欲求が解決される方向へ加速された、というのが正しいところなんじゃないか。良いことだと思う。
病院。
「(今日も元気で) 勤労 (できることに) 感謝の日」。んなわけない。元気じゃないし。明日は休む!
肩凝りがヒドい T です。こんばんは。
「OS たん」というのは以前から存在し、比較的有名なのだが、「言語たん」というのもあるんだな。
上はうちで使っている Perl 姉さん。この娘が呪文のような正規表現を扱っているのかと思うと笑える。
「ブラウザたん」というのはあまり盛んではないようだが、「おぺらたん」だけはよく見かける。
何だか萌えブログのようだな。まァ良いか。
Opera は JavaScript の解釈が一番まともな気がする。Firefox は拡張性がスゴいので手放せない。Safari はレンダリングが綺麗だが、これはブラウザというよりも Mac OS の力か。あ、内蔵 RSS リーダーは使いやすくてよろしい。
病院 → 大学。
論文を書く。Materials & Methods を過去の論文からコピー……したいのだが、微妙に手法が異なるので困る。実験技術の日進月歩は結構なことだが。
おにぎりを食べたら歯が欠けた T です。こんばんは。
「椎茸で歯が欠けた水島寒月」のようで格好良い。
最近は YouTube の接続速度も復活してきた様子。今日の動画は『美味しんぼ』。
大原さんの台詞が良い。そして雄山、イタ過ぎ……。
大学 → 病院。
ボスから「学会も終わったので論文を書け」というメールが来る。「12月上旬までに」という但し書きも。Absolutely 無理 (韻を踏んでみた)。まァ、「上旬」というのはボス語で、実際は「年内」ということなんだろうけれど。どちらにせよキツい。
行き詰まりはブレークスルーのチャンス、と思い込むことにしている T です。こんばんは。
「『俺』という一人称を改めようかと考えている」と少し前に書いたが、実行に移そうかと思う。最近、どうも「俺」という一人称に違和感があったのだが、理由を考えてみれば何のことはない、既に日常生活で「俺」の使用を止めていたからであった。「止めた」といっても、意識的なものではないけれど。
現在はほとんど「僕」である。職場は年上か女性ばかりなので、どうしても「僕」になる。改まったときや、外部の人に対しては「私」を使う。同年代の男が職場にいないので、「俺」を使う機会がない。ということに気付いた。
以下、現在に至る思い出話を書いてみる。
このサイトの開設時 (2002年 4月)、日記で「俺」という一人称を用いたのは、やや意識的な行為であったように記憶している。当時は「××のホームページへようこそ!」という個人サイトが花盛り。人々は相互リンクでつながり合い、異常なまでに互いに気を遣っていた。そういう傾向が大きな流れの一つとしてあった。「ネチケット」という今や懐かしい単語が飛び交っていて、掲示板では挨拶・敬語が当たり前、日記も当然「ですます」で書く。「私」の他にも奇妙な一人称が跋扈していたが、少なくとも「エラそう」と思われる文体は NG、といった空気があった。あれは何だったんだろうな。日本中が (ネット人口は少なかったろうが) 狂っていたんだろうか。
そういう背景があって、群れたり媚びたりするのが嫌いな自分としては、やや反骨的に「俺は〜」「〜だ・である」という文体で日記を書くことに決めたような気がする。今思えば、このときに「shuraba.com」の大きな方向性が決まったのかもしれない。殺伐。望むところではある。
当初の日記は本当に「日記」であり、その日にあったことを具体的に書き記すだけのことが多かった。その内に、自分が考えたこと、気付いたことなどを抽象的に書き始めることになる。読者が増え始めたのもこの頃だ。論旨は強引なことも多かったが、できるだけロジカルに書くよう心がけていたので、そのへんが良かったのかもしれない。
論理的な文章に「俺」という一人称はどうかとも思ったが、書き慣れてくると、これが結構面白い雰囲気であることに気付いてくる。このことに自覚した後、漢字をどんどんと開いていったり、それまでは努めて使わなかった擬音語・口語などを積極的に投入したり、括弧を多用したりと、色々な文体実験もした。修士過程の後半あたりだろうか、この頃の日記は読み返しても力がある。ときどき過去の日記を引用しているが、引用元はこの時期に書かれたものが多い。遺産で喰っているようなものだ。
就職してから日記が大人しくなったと自分でも思う。正直、内容がつまらないと思うことも多い。1日が終わり、日記を書くときに残っているエネルギーの違いだろうか。いつしか「俺」という人称が、自分から解離しているように感じるようになったわけだ。実生活でも使わないし。同時に、世間では blog が普及して、様々な人が様々な文章を書き、それらが大量に流通するようになった。俺の反骨は反骨でなくなったわけだ。
とまァ、色々な理由で「俺」という一人称を改めることに決めた。使わないわけではなく、そのときに応じて適切な人称を使い分けようと思う。ある意味では自由なわけだが、適当な縛りがあった方が文章は上達するし、何より書きやすいという側面もある。これはこれで冒険なのだ。
どうも最近、書き慣れたフレーズを半ば自動的に吐き出しているだけのような気がするんだよな。2007年は文章修業をしてみるか。
という締めくくり方もウンザリするほど過去に使った。こういうところを改めねばならぬのだ。PEっ。
病院。
学会中にやってもらった実験データの整理。午後は全体会議。夜はセミナー。隣のテクニシャン嬢も参加しに来ていた。勉強熱心なのは良いことだが、理解できたのだろうか。プログレス・セミナーの類いは、バックグラウンドの説明なんてほとんどしないからなあ。次回は不参加に 100 パワーポイント。本心としては、これからも参加してほしいものだが。
Beating していた細胞から RNA を取ってきて調べたら、確かに心筋マーカーを発現していた。という話をボスにしたら、大層喜んでいた。
またもや書評するべき本が溜まってきた T です。こんばんは。
学会への行き帰りでかなり読むことができたので、ボチボチと紹介していくつもり。普段は腰を落ち着けて読めない小説をたくさん読んだのは収穫だった。
サイトのレイアウトが IE でもマシになる (であろう) ように変更。確認してないけど。ちょっと日和ってみた。
あと、RSS をリーダーで見たときに読みやすくなるように変更。これまでは見出しから本文から、全てが改行なしの 1行で表示されていたと思うが、これからは基本的に、サイトで読むのと同じ形で表示されるはずである。
RSS での配信をどこまでリッチにするか、というのは極めて微妙な問題である。極端な話、完全な形で RSS を配信してしまうと、わざわざ実際のサイトまでジャンプする必要がなくなってしまう。実は俺も、幾つかの blog は RSS で読んでおしまい、ということにしている。そういえば、RSS を配信するだけで、いわゆる普通のサイトのページはない、という面白い blog もあった。
まだしばらくサイトの改造、プログラムの整理を進めるつもり。RSS 周りも、もうちょっと強化したい。
病院。
細胞培養。来週の計画を立てる。勤労感謝の日があるので、そこを上手く避けるように実験を組まねば……、などと勤労している自分が少し悲しい。俺も感謝されてえよ。
出勤簿に勤務時間を書き込む関係で、出勤記録は Excel に入れて計算している。2006年に入ってからの休日は、まだ 50日未満である。平均したら週休 1日くらいではあるが、正月や GW、夏休みを入れての数字だから、統計よりも現実は厳しい。別に嘆いているわけでも、忙しさを自慢しているわけでもない。休もうと思えばもうちょっと休めるわけだし、半分以上は好きでやっていることなんだよな。実際問題、これくらいやらないとダメだという危機感もある (それは我が能力のせいもあるわけだが)。
最近は「将来なりたい職業」で「科学者・研究者」が上位に来るって聞いたものだから、ちょっと自分の現状を書いてみた。俺のケースが一般的かどうかは知らないが、別に特殊ではないと思う。
しばらくサイトの改装に力を入れようかと考えている T です。こんばんは。
まとまった時間がなかなか取れないので、中途半端なままでしばらく放っておくこともあるかもしれないが、色々と試してみるつもりである。
グチャグチャとサイトの外見を変更する。なかなか思ったようにならないが、結局はシンプルなものに戻ってしまった。やはりキラキラしいのは俺のガラではないようだ。
IE というブラウザでは display: table-cell
に対応していないため、悲しいほどにメニューの表示がおかしい。IE に完全対応させるのはスッパリと止めたので、改める気はない。オフィシャル・サイトや商売のページでもないし。
Mac ユーザである俺が IE を攻撃すると、どうもオタク臭くてイヤなんだが、これはそういう意味での感情論ではない。良い音楽体験をしようと思えば、良いオーディオ・システムが必要なように、良い Web 体験をしようと思えば、良いブラウザを使う必要がある。そして IE は、少なくとも現在、どう考えても良いブラウザとは思えない。
技術に明るい一部の人が IE をバカにしているのは、オーディオ・マニアがウォークマンをバカにしているのと同じ構図なのではないか。別にウォークマンでの音楽を否定するつもりはないけれど、ウォークマンの再生能力ではちょっと……という音楽を作りたい人が、ウォークマンのことを考えて自ら足枷をはめる、というのはやはりおかしい。
最近になって IE 7 がリリースされたが、使えば使うほどに、「今頃これかよ」という声が大きくなっているようである。「IE 無視宣言」をしているブログもちらほらと見かける。IE のシェアを考えると暴挙のような気もするが、結局は「全世界に情報発信!」という誇大妄想よりも、自分がしたいことをする方が個人サイトでは大切なんだよな。俺も同感である。
やりたいことは沢山ある。時間は限られている。ネットに限った話ではない。
病院。
細胞の世話だけして帰宅。忙しい日々が続いていたが、それも大体終わった。今年の残り 1ヶ月余りは、しっかりと実験していきたい。
健康な T です。こんばんは。
健康診断で異常値が出ており、隣の先生に採血をしてもらっていたのだが、結果はオール OK だったらしい。つまらん。入院の一つや二つ、させてくれても良いじゃないか。
早朝に京都。タクシーで帰宅。風呂に入ってから軽く飲んで仮眠。午後に出勤。
学会中に溜まった事務仕事を片付け、テクニシャン嬢がやってくれていた実験結果にざっと目を通す。隣のテクニシャン嬢に flow cytometry の解析を教える。早く一人でできるようになってね。オッサンしんどいから。
早めに帰宅。
体内時計がボロボロの T です。こんばんは。
シカゴ → 成田 → 伊丹。
のはずだったのだが、シカゴからの出発が 4時間ほど遅れる。飛行機のコンピュータが故障していたらしいが、そういうことってよくあるのだろうか。成田に帰ってきたのは夜。飛行機はおろか新幹線もない。航空会社が用意してくれたホテルに泊まる手もあったが、それでは京都に戻るのが翌日の夕方になってしまう。さすがにそれは困る。
仕方なく夜行バスで帰る。何が哀しくて 12時間も飛行機に乗った後、日本で 9時間もバスに乗らねばならぬのか。飛行機で爆睡していたから、バスの中では眠ろうにも眠れない。本を読みたくても車内は真っ暗だし。ひたすらボンヤリとして過ごす。
アメリカより日本の方が物価は安いと思う T です。こんばんは。
シカゴは朝が早い (暗くなるのが早いから?)。ホテルのレストランが 6時半から空いているのはわかるが、学会場へのシャトルバスも 6時半から運行している。別にそれほど離れているわけではない。バスで 5分くらいである。そんなに早く行ってどうするのか。それでも、7時になるとたくさんの人が歩いている。このあたりもアジアと違うよなあ。ソウルは皆が動きだすのが 11時くらいだった。タイはもっとヒドい。その代わり夜が遅くて、俺は好きなんだが。
午前中に発表。プレゼンテーションは無難にこなしたが、意図のわからない質問をされて若干うろたえてしまった。「海外の学会ではピントの外れた質問をよくされる」とはボスの弁。本当だろうか。適当な口からでまかせのような気がする。
俺のプレゼンテーションを見に来てくれたボスと合流したわけだが、ラボの人間に会うのはこれが初めて。我がラボは結構個人主義で (ボスは皆で集まるのが好きなのだが)、国内の学会でも滅多に顔を合わせることはない。誰がどこに投宿して、いつ来ていつ帰るかもわからない。さすがに発表時間だけはチェックしているけれど。
一度ホテルに戻り、ミシガン湖の周りを散策。夕刻、再びボスと合流して晩飯。魚を食う。いや、だから、シカゴは海から遠いから、別に気張って食うほど名産でもないと思うのだけど。「魚だから、やっぱりワインは白か」とかさ。飲めないくせにそういうところを気にするところが面白い。ヘンな人だ。
実験とか来年度以降の話をする。「大学院を出たらどうするつもりだ。留学でもするか」と言われた。留学なあ。このシカゴのような所で研究できたら楽しいだろうなあ、とは思う。
知らない所を散歩するのは好きな T です。こんばんは。
学会場に行って、registration を済ます。ブラブラと会場を歩く。公表によれば参加者は 3万人というから、日本分子生物学会の 2倍以上である。果たして 1つの学会がここまで巨大になることに意味があるのか、という気もする。自分が興味を持つセッションですら、全てに参加することは不可能である。俺はどの発表を聴き、誰に向かって発表すれば良いのか。
もっとも、そんなに真剣に考えているわけではなくて、午後はシカゴの街をブラブラと散歩したわけだが。
シカゴといえば摩天楼が有名だが、確かに素晴らしい。例えば東京でも大阪でも、韓国に行ったときにソウルでも高層ビル群は見たのだが、それはあくまで高層ビル群であって、「摩天楼」というクラシカル・モダンな日本語が持つイメージとはちょっと違う。そういえばバンコクでも見たな。アジアの新しい高層ビル群は清潔でピカピカしており、とてもポップではあるけれど、あれはやはり摩天楼ではない。建築様式の問題かと思ったが、ひょっとしたら国民性、地理的な問題なのかもしれないな、と思った。
シカゴはミシガン湖が目と鼻の先にあるので、夏はどうだか知らないが、今の季節は霧が物凄い。恐らく、気温 (0度前後だった) に対して湖水が暖かいのでよく霧が発生するのだろうが、量が半端じゃない。空が重い。低い。加えて風が強い。17時にもなると真っ暗である。したがって陰鬱なイメージがある。ビルの古さがさらに拍車をかける。治安は悪くないようだが、もちろん日本ほどではなさそうで、毎晩ホテルの前を何回もパトカーが往復する。ホテル近辺の大通りは観光客 (というか学会参加者) が多く、彼ら向けの店が並んでいて明るいイメージだが、少し奥に入るとピリッとした空気になる。アパートメントの鉄格子はドン引きするほど頑丈で刺々しい。映画でよく見るような、ダウンタウンの古いビルディングはとても格好良かったが、ちょっと気軽に写真を撮れる雰囲気ではなかった。危険そう、というわけでは必ずしもないのだけれど。
どうでも良いことだが、スプレーによる壁面の落書きを、俺はアートだなどとは認めていない。しかしその認識が、シカゴで少し変わった。日本で見かける落書きは、落書きのスタイルだけを輸入して土塀などに大書するから醜悪になるのだ、ということが理解できる。レンガの剥がれ落ちた、シカゴの古いビルディングに描かれた落書きには、それなりの力があるように感じられた。もちろん落書きは落書きで、その大半は稚拙なものだが、要するにキャンバス (= ビル) の力なんだろうな、「なるほど」というものも幾つかあった。日本におけるスプレー・アートとやらは、屏風や掛け軸にピカソの絵を描いているようなものである。それが悪いとはいわないが、認識なき前衛ならば愚行に過ぎない。あ、もちろんこれは芸術論であって、それ以前に落書きは犯罪であるのはいうまでもない (シカゴがどうだか知らないが)。
早めにホテルに戻り、発表の練習をして就寝。
ロサンゼルスに続き、アメリカを訪れるのは 2回目の T です。こんばんは。
関空 → シカゴ。
空港からタクシーでホテル。部屋のカーテンを空けたら水平線が見えたのでビックリした。ここは北米大陸のど真ん中ではなかったか。もちろん海ではなくてミシガン湖なわけだが、「海」といえば瀬戸内海がまず思い起こされる俺にとって、「向こう岸が見えない」イコール大海、なのである。それにしてもデカいね、ミシガン湖。
以前から不思議に思っていたのだが、「五大湖」とかいって、地図を見る限り明らかに一つの湖である。それをわざわざ 5つに分けて、それでも 1つがこれだけに大きいのだから、まァ何というか、やはり世界は広いよなあ。そしてこのデカさが、アメリカだなあ、と思う。勘違いだろうけれど。
疲れていたので、風呂に入って就寝。
原稿をまだ覚えていない T です。こんばんは。
学会でシカゴに行ってくる。16日の夜に帰国予定。帰ってきたら学会日記を書くつもり。
飛行機に乗るのが楽しみな T です。こんばんは。
乗り物としての飛行機が好きとか、そういう理由ではなくて、「十数時間もの間、自分は何一つしなくて良い」というシチュエーションに心の安寧を覚える。病んでる?
ちょっとだけ見た目を変えてみた。Safari では CSS の text-shadow
が有効なので、少し綺麗になったはず。微妙なグラデーションがかかったパターンは Mac OS からパクってきた。もっと作り込みたかったのだが、時間が……。左上のタブなんかは妙に軽い感じだし。こういうときに限って、どうでも良いような所に凝りたくなる。バカだ。学会行きの用意をしよう。
病院。細胞のメンテナンスだけして帰宅。
学会の準備よりも、学会に行くための準備に翻弄されている T です。こんばんは。
病院 → 大学。
日曜から来週の木曜まで学会に行くので、その間の実験計画を組む。とはいっても、数日分ものプロトコルを前もって用意するのは不可能に近い (それが可能であるならばとっくの昔にやっている)。結果を見てから次の実験のプロトコルを決めるのが本来であって、それ以外の仕事となると、「プラスミド増やしといて」とか、そういうレベルになってしまう。それも大事な仕事ではあるんだけど。大学に寄り、大学のテクニシャン嬢にも学会中の実験を依頼する。
報われる頻度が低いからこそのめり込むのでは、と思う T です。こんばんは。
病院。
霊長類 ES 細胞をある条件で培養すると心筋細胞に分化して beating を始める、という報告が幾つかあるのだが、ようやく自分の手でそれを再現することができた。ビクビクと拍動している心筋のクラスターを観察できたのは今年一番の感動であった。何というか、「実験が上手くいった」というよりも、圧倒的に「おお!」という純粋な感動。これがなければ研究なんてしねえよなあ。思わずジョナサン・ジョースターの台詞 (今日の日記のタイトル) を思い出した俺はどう見てもジョジョオタです。本当にありがとうございました。
問題は再現性良く分化させることができるか、にある。ここからが本当に難しい。今回の分化が「たまたま」という可能性は大いにあり得る。マウス ES 細胞なら比較的簡単に beating にまで持っていけるんだけどね。
学会発表用のスライドと原稿をボスに見てもらって修正。これは嫌味ではなく思うのだが、ボスは教育熱心だと思う。
PowerPoint に鬼のように時間を奪われている T です。こんばんは。
携帯電話用「shuraba.com Mobile」で文字化けしていたのを修正。
病院。学会発表用のスライドと原稿をボスに見てもらって修正。
大学院の入試を受けてきた T です。こんばんは。
β版ながら、MySpace が日本でもサービス開始ということで、アカウントだけ取ってみた。mixi の評判が最近悪いので、あるいは MySpace が流行ったりするかなあ、とも思う。まァ、アカウント取っただけで何もしないんだけど。
MySpace に限らず、他の SNS でもアカウントを持っていたりするのだが、いまいち SNS の面白さというのがわからない。完全に放置しているという自分の姿勢に問題があるのは間違いないが、やはり面倒臭さが先に立つ。面倒臭くなるのは、動機が希薄だからなんだが。
複数のサービスが並立している状態で「SNS」と言われても、そこには自ずと限界がある。仮に自分と同じ出身校の人間を探すとしても、彼らが全員同じサービスを利用しているとは限らない。ある人は mixi だろうし、ある人は GREE かもしれない。個人情報の関係でおよそありえないが、各社が提携して単一のデータベースを用意し、それぞれのサービスはそこにアクセスするための窓口とならない限り、SNS のこれ以上の発展はないんじゃないか。
Web の世界は分散、分散の方向で進んできたが、SNS に限っては「一極集中」しないと目的とするところが達成されない。そのあたりにジレンマがあり、これは勝手な予想だが、近い内に変わった形のサービスが出てくるような気もするのである。
大学。
午前中は筆記試験。英語と医学・生物学。手で文字を書くのがダルい。しかも漢字が出てこないので焦る。「臓」とか「髄」とか、画数の多い文字はホントに勘弁って 漢字 感じ。午後は面接。疲れた。
最近の『テニスの王子様』は本気で危ういと思う T です。こんばんは。
サイトのファイルのエンコーディングを EUC-JP から UTF-8 に変えた。文字化けがありましたら教えて下さい。
変換には「MultiTextConverter」というフリーソフトを使った。Mac/Win の両方がある。エンコードを変換するだけでなく、HTML/XML の encoding=""
内のコード指定も自動で置き換えてくれる。かなり便利。
EUC-JP を使っていたのは、レガシーな Perl で日本語処理をするときの定石だからであるが、Perl 5.8 以上であれば
use utf8;
で問題なく扱えるようになる。「RSS Reader」を作るときに、文字コードの基礎的な変換ライブラリも幾つか作成した。以前から検索・日本語解析関係で何か作ってみようと考えており、これはその布石である (UTF-8 では日本語 1文字も 1文字として認識する)。いつ生かされるのかわからないのはいつも通りだが。
古本屋で古い理化学辞典などを買い漁っている T です。こんばんは。
岩波の辞典とか、良い具合に古色のついたものが安い値段で投げ売りされている。読んで見ると意外に面白い。オブジェとしても知的だし、ズラリと並べれば、なかなか迫力も出る。何してんだか、って話だが。
我がサイトのサイド・バーは左にある。特に理由はない。
ところで、「ブログの世界ではサイドバーの右左にマナーや仕様というものがないので、メニューをどちらに置くのかはそれぞれのブロガーの思想が表れているものなのだろう」という blog を見かけた。サイド・バーを右側に置く奴は「右寄り」という理論である。ギャグなのか真剣なのかわからない。「オッス、オラ極右!」を思い出したのは俺だけか。
ウェブ、特にブログの世界で右側に「サイドバー(メニュー、アーカイブ、リンクなど)」を置く若者が増えている。
これは恐らく統計的に正しい。ただ、サイド・バーを右側に置くのは検索対策のためである、というのが一般的な理解である。……とか考えていたら、最後に「ネタ」と書いてあった。そうだよなあ。
病院。早めに帰宅。
来週の入試、英語のテストには「辞書持ち込み可」となっているので、和英辞書を買いに行く。研究社の「新和英中辞典 第5版」の装丁がシンプルで格好良い。「新英和中辞典 第7版」とセットで購入した。英和辞書は、同じ研究社の「リーダーズ英和辞典」を使っているのだが、これは職場に常駐しているため、書斎にはない。ちょうど 1冊欲しかったところだ。
書斎といえば、辞書辞典の重量級が欠かせない。そんな理由で買ったわけではないけれど (本当か?)。
夏目漱石『吾輩は猫である』が最も好きな小説だと、何度も何度も書いている T です。こんばんは。
病院。
実験の合間に日本語の総説を読む。これは俺だけかもしれないが、日本語の総説は何だかムニャムニャとしていて理解しにくい。英語の方がわかりやすい。総説というのは、「既にわかっていること」のまとめだから、英語のスパッとした書き方が適しているのだろう。逆に、discussion は日本語の方がわかりやすい。しかしこれは、単に俺の英語力の問題だと思われる。
『女には向かない職業』という題名の小説がある。その例でいえば、「日本語には向かない記述」というものもあるし、「英語には向かない表現」というものもあるだろう。夏目漱石が留学中、『方丈記』を英訳したというエピソードを読んだことがあるが、一体どんな英文なのか、非常に興味がある。
行く川のながれは絶えずして、しかも本の水にあらず。よどみに浮ぶうたかたは、かつ消えかつ結びて久しくとどまることなし。世の中にある人とすみかと、またかくの如し。
「日本的」の極致ともいえるこの文章を、まず「訳そう」と考えたこと自体がスゴい。
というわけで色々と調べてみたら、「徒然草を英訳すると……翻訳された日本文学」という国会図書館のページを見付けた。翻訳された作品のタイトルが列挙されている。それによると、
などなど、日本人としては辛いタイトルが多い。翻訳って難しいなあ。『The pillow-book of〜』なんて、何だかエロ映画のような題名である。最強だったのは、
これはヒドい。
暖房を入れた T です。こんばんは。
自分が持っている全ての本の ISBN コードのリストがあれば、Amazon の API を使って色々と面白いことができるのになあ、と思う。iTunes 7 の Cover Flow のようなインターフェイスの書評とか。斬新過ぎるか。でも、こういう形で他人の本棚が見れたら楽しいだろうな。
それにしても ISBN コードを打ち込のが面倒臭い。1冊 30秒として、1000冊で 500分か。実際にはもっとかかるに違いなく、作業量としてはちょっと辛いものがある。本屋のバーコード・リーダーとかレンタルできないかな。ピッピッと読み取れれば苦労はないのだが。
大学 → 病院。
3連休をベッタリ休んでしまうと、実験のローテーションが狂ってしまうんだろうか。病院の方には、チラホラと人が来ていた。我々のグループは毎日が available な状態なので、「ローテーション」というものを意識せずに済む。やりたい実験は、始めたいときに始められる。「細胞を起こしても週末にかぶっちゃうので、来週から」というようなことはない。実験スピードとしては、単純な勤務時間以上の効果がある。そういう意味で、work sharing という発想は基本的に正しい。問題は、皆が同じ日に休みたがることだろうな。皆が同じ日に休むという条件で work sharing をしても、(社会的、経済的なレベルはともかく、実際の仕事レベルでは) 大した効果はない。むしろ逆効果かもしれぬ。
「MURYYYYYYYYYYY!!!」と叫びたい T です。こんばんは。
「『No』と言えない日本」というが、問題になっているのは曖昧な返答の仕方であって、答えの中身が「No」か「Yes」かは、さして本質的なテーマではない。むしろ一般的に、「No」よりも「Yes」と答える方が困難を伴う。断るのは簡単だ。どこまで「Yes」と応じられ続けるか、というストイックな、あるいはマゾヒスティックな試みの方にこそ、武士的な精神が存在する。何でもサムライがエラいってわけじゃあないけれど。
幇間が極めて高度な職業であるのと同じ理由で、イエスマンになるにも強大な精神力が要求される (無論、ここでいうのは実行が伴うイエスマンである)。実は結構、ハードボイルドなのではないか。サービス業のプロとかにいそうだな。
病院。
明日からは 3連休でテクニシャン嬢達は休み。週明けには入試があるので俺が不在。5日間ほどコミュニケーションが取れない日が続くので、詳細な実験計画を立てる。彼女達が迷わないようなプロトコルを書いて残すことの難しさは、以前に日記で書いた。こんなものを書いている内に自分で実験した方が早いんじゃないか、と思うこともよくある。もちろんそれは刹那的な感想であって、長期的に考えれば、彼女達にしっかりと実験を覚えてもらわないと回らなくなるのは目に見えている。
何度も行う実験は、その内に指示も簡略化できるようになるし、必要な時間もステップも最適化されていく。俺にできるのは最適化の速度を上げることで、それが仕事でもある。小さなグループではあるが、これがシステム作りか、と勉強することも多い。貴重な経験ではある (便利な言葉だ)。
連休中は少々実験する予定。雑用もなく実験できる良い機会である。こういうときに実験しなくなったら終わりだな、と常々思っている。
人の家を覗くのは面白いとは思う T です。こんばんは。
渡辺篤史の建もの探訪。
パロディにしても渡辺篤史の語り口に違和感のないところがスゴい。
病院。