- 研究道

2006/09/24/Sun.研究道

どちらかといえば自分は職人気質だと思う T です。こんばんは。

研究日記

大学 → 病院 → 大学。キツい。

「日本の野球は baseball ではなくて『野球道』だ」と評した言葉がある。「日本の研究は research ではなく『研究道』だ」というテクストはどうだろう。

例えば、今ここで勝手に、「営業道」「販売道」「接客道」「製造道」「事務道」という言葉を作ってみる。何となくそれっぽい感じはする。というか、日本人がやったら何でも「道」になってしまうのではないか、とすら思える。要するに職人気質なんだな。

一方で、華道・茶道・書道は文化であり芸術である。弓道・剣道・柔道は運動でありスポーツである。日本人は何とも思わないが、これらは「職人」の対立概念であるといっても良い。よくよく考えてみてほしい。「職人気質の芸術家」というのは、恐らく欧州では成立しない。あちらの社会では、芸術家は貴族か異端である。ところが、日本では芸術家と職人が一体となり得る。

浮世絵が印象派に与えた衝撃、という歴史がある。浮世絵の平面的な構成が、伝統的な西洋画にとって甚大なカルチャー・ショックであった、と一般に解されている。だが、本質はもっと根深いのではないか。浮世絵は工業製品である。マスプロだからこそ、大量の浮世絵が欧州に流れ得た。浮世絵は、絵画として西洋に紹介されたのではない。当時、西洋でブームになっていた東洋磁器を運送する際に、包装紙として使われていたのが浮世絵なのである。日本人にとって、浮世絵は新聞紙程度の「製品」だったのである。欧州人がまず驚いたのは、この事実ではなかったか。職人が芸術家に与えた衝撃、と言い換えても良い。

という観点から、「研究道」を考えてみる。「職人気質の学者」だ。と書いたところで、先日の「研究と入札」に思いが至る。こういうことを考えるのは、やはり日本人だからだろうか。

「職人」と似た言葉に、「プロ (profession)」がある。Profess の語源は「公言する」「神に誓う」であり、極めて個人的である。少なくとも、宣言するだけなら他者が存在しなくとも成立する。反対に、「職人」になるためには他者からの認証・称賛が絶対条件である。「誰にも認められない芸術家」は存在しても、「認められない職人」はあり得ない。「道」における「名人」が典型例である。「名人」の称号は名乗るものではなく、与えられるものだ。華道や茶道の家元が世襲できるのは、このためである。「世襲の芸術家」なんて、こんなヘンなものはない。やっぱり職人なのか。職人は世襲が多い。

ところで、「学者の家系」というものが現実に存在する。学問は「道」なのかどうか、興味は尽きない。