- 余白的空間

2006/07/21/Fri.余白的空間

家のデカさとは物理的な面積ではなく、余白的なスペースの多寡で決まると思う T です。こんばんは。

独居用住宅は、何にせよ余裕がない。「家」には色んなところにワン・クッションがある。実家に帰るたびに思うことだが、例えば風呂場の前に洗面所がある、便器の前に手洗いの空間がある、玄関と廊下の間に余剰スペースがあり、床の間があり縁側がありテラスがある。

今の我が豪邸は築 30年近くの古い建物だが、そのためか独居用にも関わらず余白的空間がそこかしこにあって、それが何となく家的な雰囲気を醸し出している。旧豪邸は新しく、機能的ではあったかもしれないが、それだけといえばそれだけの、面白みのない間取りであった。

旧我が豪邸 現我が豪邸

左が旧豪邸、右が現豪邸である。現豪邸には、A や B といった無駄な (と最初は思った) スペースがある。現豪邸図の赤線の部分には、これまた意味不明な段差がある。バリアフリーくそ喰らえといった、いかにも昔の設計であるが、実は気に入っている。この段差をストンと下りると、ああ帰ってきたなあ、という気がするのだ。何事にも余白がなければいけない。

今月は割と余白のある生活だった。今日も古本屋を巡ったり昼寝をしたり。来週月曜にはセミナー発表が控えているので、また明日から気合いを入れ直そうと思っている。「Radio」もちょっと間が空いてしまったので、近い内に再開したい。このページ、思いのほか頻繁にアクセスされているようで、「ヤル気のないコンテンツほど何故かチェックされる」という web サイトの法則に忠実なのである。