- 狭間の夢

2006/05/02/Tue.狭間の夢

GW に更新しようかどうか迷っている T です。こんばんは。

というのはいささか大袈裟で、この日記は書きたいことを書きたいときに書きたいだけ書く、というスタンスでやっている。更新したければ更新する予定。

忙しい日や疲れているときほど更新意欲が高い。そのような日は自分自身の言動も多いわけだから、いわゆる日記的なネタもできやすい、ということが考えられる。しかしそれ以上に、奇妙なアイデアや着想を得る確率も高いような気がして、そちらの方が俺にとっては重要である。覚醒と覚醒の狭間の睡眠で夢を見るように、精神的肉体的な活動のレベルが高い時間にときおり訪れる短い空虚、そこに興味深いイメージがポカンと現れる。単なる現実逃避ではないか、という疑いもあるけれど、休日に本気で弛緩しているときには、そんな思い付きはなかなか得られない。熟睡しているときは夢を見ない、という事実に似ている。エネルギーを励起しておかないと、奥底の沈殿物は表層まで舞い上がってこないのだろう。

そういう意味で、俺は「勘」というものをある程度信じている。それは言語化されていない認識ではないのか(無意識ではない)。こんなことを書いたら怒られるかもしれないが、女性の勘が鋭い、という傾向にも頷ける。フォローしておくと、言語化は意識化の一手段である。言語化が特別に高尚なわけではない。言語に特権を認めることは、文学以外の芸術を否定することに等しい。言語化することによってこぼれ落ちてしまうものの何と多いことか。自分が日々、日記を書いて思うことである。言語化している、というのは傲慢ではないのか。言語化しないと認識できない、ということなのかもしれない。貧しい能力だ。言葉の森でうろうろとしている間に、勘は本質を鋭く突く。

研究日記

病院 → 大学。病院でウエスタン、データ解析。大学では細胞の免疫染色。ラーメンを食って 24時に帰宅。