- 桜、桜、卯月の空は

2006/04/07/Fri.桜、桜、卯月の空は

カメラを持ち歩くだけで、構図を取る訓練になるのではないかと思う T です。こんばんは。

本日は休み。天気が良かったので、カメラをポケットに入れて高野川の桜を観てきた。川沿いの遊歩道をブラブラと歩く。最高に気持ちが良い。家族連れや観光客もチラホラ。写真を撮りつつ、数人と会話を交わした。そこに桜が咲いているというだけで、かくも日本人は社交的で優しくなれる。改めて、桜が日本人のメンタリティーに対して持つ影響力の巨大さを実感する。悪い気分ではもちろんない。

生物学的(生得的といっても良い)な美的感覚についての妄想を、しばらく前に書いた。無論、人間の美的感覚はさらに複雑高等である。そこには教育的(後天的)な要因が多く、文化的な人間ほどその割合は高いだろう。また、文化によってもそのベクトルは異なる。単なる小汚い茶碗でも、「わび・さび」の文化を持つ我々は、それを「シブい」と称揚することができる(本当にそう思っていなくとも)。

桜は確かに美しい。人類であれば、少なからずそう思うであろう(外国人観光客も大勢いた)。しかし、桜を美的な花の最高に位置付けているのは、日本文化である。我々は桜を見るとき、それが世界一美しいと「思い込む」ことができる。教育という名の洗脳による、幸福な勘違いだ。決して皮肉ではなく、日本人に生まれて良かったと思う一瞬である。

帰りは本屋に寄って、数冊を購入。働き出して 1年、ようやく読書と仕事を共存させることに成功しつつある。特に最近はペースが上がってきた(小説の割合はどうしても減少してしまうけれど)。書評が追い付かないんだよなあ。紹介したい本が、20冊ほど机の上に積んである。凄く邪魔だ。しかし片付けてしまえば、永久に紹介することはなくなるだろう。それでも別に構わないのだが……。