- セキュリティの事例 2つ

2006/03/18/Sat.セキュリティの事例 2つ

安全について考えてしまった T です。こんばんは。

研究日記

夜間休日は、研究棟に入るための自動ドア(1つしかない) が施錠される。もちろん、働いている人はカード・キーを持っているのだけれど、それは、カードがないと職員でも入れないという意味でもある。

今日は愚かなことに、カードを研究室に置き忘れたまま外に出てしまった。土曜日なので、研究棟には誰もいない。少なくとも、俺の知っている人はいなかった。電話で呼び出して開けてもらうのは不可能である。どうしようかと思案している内に、研究棟にやってくる人影が見えた。便乗して研究棟に入ろうと考えた俺は、不自然にならないよう、彼の後ろを付いていった。

俺に気付かない様子の彼は、ドアの前で立ち止まり、ポケットからカードを出……すのかと思いきや、いきなり両手の指先を自動ドアの隙間に差し込んだ。「フンッ!」という気合もろとも、力づくでドアを開ける。呆気に取られる俺。アカンやろ、それは。

ちなみに、彼はれっきとした職員である。俺も呼び止めはしなかった。ただ、我が職場のセキュリティの甘さに愕然とさせられる。俺が従事しているのは基礎研究だが、臨床研究のラボもある。当然、患者のデータも保管されているだろう。どう考えても問題だ。

だが、とにかく、彼のおかげで俺が研究棟に戻れたのは確かである。ありがとう。で良いのか?

防犯ブザー携帯中

セキュリティといえば、先日、少し衝撃的な光景に出会った。集団下校する小学生とすれ違ったのだが、彼らが背負うランドセルには全て、「防犯ブザー携帯中」というデカいシールが貼ってあったのだ。俺の個人的な感覚からすれば、やはり異常だ。都市部だけの光景かもしれないし、彼らが本当にブザーを携帯しているのかどうかも知らない。しかしブラフだとしても、そのような対策が必要なまでに彼らの日常は危険なものとなっている(少なくとも、親や学校はそのように認識している)。

異常だといっても、そんなマネをやめろと主張しているわけではない。それだけ、俺が小学生の頃は平和だったのだろう。わずか 15〜20年前のことであるが。あえて反社会的に書くけれども、当時は宮崎勤ごときが大事件だった。今日び、彼が犯した程度の犯罪では社会的ショックは惹起されない。この感覚の鈍磨。あるいは、一度閾値を超えたときには、次からそれが基準になること。ちょっと考えてしまうね。人間の適応性や順応性、または進歩といった善的な部分とも深く関わってくるだけに、なおさら。

少子化もむべなるかな。あんな光景を見れば、単純に「子供が欲しい」とは思えなくなる。