- 行儀論のための覚書

2006/03/05/Sun.行儀論のための覚書

この週末はよく遊んだ T です。こんばんは。

洋食のコースを食べに行くと、卓上に何本ものフォークやナイフが並ぶ。その配置は常に右利きを前提としており、左利きの人間には都合が悪い。いや、俺は右利きだけど。そのあたりの対応がどうなっているのか、寡聞にして聞いたことがない。

「行儀は他人に見せるもの」という文章を先日書いた。「見せる」という言葉が端的に示すように、行儀、礼儀、マナーというのは身体言語である。平たくいえば、パフォーマンス。「言葉だけでは足りない」と双方(一方)が思うから、「土下座」という身体表現で上乗せする。言語的であることを、より「人間的」としてみなすのなら、身体言語は一段低級のものであるともいえる。ゆえに、そんなものを要求するのは無意味だ、という意見が成り立つ。一方で、「低級だというのならちゃんとやってみろ」と求められたりもする。これが、行儀不要論・必要論の全貌であるように俺は思う。

俺はどちらかというと行儀必要論者であるが、それ以前に、左利きの人間も快適に食事ができるくらいの基盤が必要なんじゃないか。そんなことを考えてしまった一昨夜の夕食。