- 細胞と個体の死、あるいは老化

2005/12/18/Sun.細胞と個体の死、あるいは老化

定期を買ってから、年が明けてから買った方が得だったのではと気付いた T です。こんばんは。

仕事に行こうと外に出たら、結構な雪が積もっていた。焦る。そんな必要はないのだが。

寒いのが苦手な俺だが、それは気合いが入るまでに時間がかかるからであって、寒いこと自体はそこまで嫌いじゃない。高校生のときは、寒風の中を水着のようなユニフォームで走りまくる長距離陸上野郎でもあった。気合いが入った後の寒さは、むしろ心地よい。

研究日記

年末年始を迎えるにあたり、細胞を徐々に凍結保存していく。線虫も凍結保存できるんだよね、なんてことを先生と話す。年末年始くらいなら、放置していても線虫は生き延びてくれるから、細胞よりはよほど楽ではある。ただ、復活率という点では、細胞の方が確実によろしい(大腸菌の competent cell なんかもそうだ)。ま、線虫は細胞の集まり、つまり個体であるから当たり前なんだけど。

個々の細胞が生きていることと、それらの細胞でできている個体が生きていること、この間には大きな距離がある。例えば、臨床的に死亡が確認された瞬間の死体。このとき、(ヘンな表現だが)細胞的に死んでいる細胞というのは、ほとんどないのではないか。でも個体としてはやっぱり死んでいる。しかしそこにも落とし穴があって、では死とは何なのかは、まだ明示的に定義されていない。存在するのはいくつかの指標だけであり、それらを満たせばとりあえず「死んだ」とみなされる。

Aging(老化)の細胞生物学的研究は盛んに行われているが、細胞死と個体死の関係に似て、細胞の老化と個体の老化が直接に結びつく証拠は特にない(関係がないとまでは言わないが)。そもそも「老化」という現象も非常に抽象的かつ主観的な表現であって、結局は代謝がどこそこのレベルまで落ちただとか、そういう基準でしか判断できない。サイエンスだからそのようにするのは当然なんだけど、単純な減少曲線の途中にラインを引いて、「ここから向こうは老化」といわれても、ちと違うんでないかい、という気もする。

そんな疑問を語っていたら遅くなってしまった。帰る頃には、また雪が降っていた。