- 医者っぽさ

2005/11/01/Tue.医者っぽさ

ネイティブでない人が、無理をして関西弁で演技をする必要なんかないと思う T です。こんばんは。

いつものことではあるが、先生と遅い晩飯を共にする。飯屋のテレビには、実写版『火垂るの墓』が映っていた。褒められた感想ではないが、いかにも辛気臭い。自分が疲れているので、そういったものに対する感受性が鈍くなっているのである。

ところが先生は笑顔で、「いやあ、こういったテレビを観ながら食う飯は旨いね」などという。慌てて脳内補完をする俺。恐らく、「生きていくための栄養にも事欠いていた時代を考えれば、こうして御飯を食べている我々は何と幸せなのだろう。そう思うと御飯を美味しく頂けるね」という意味だったのだろう。しかし省略範囲がデカ過ぎて、一聴しただけではトンデモない問題発言に聞こえる。

このような無邪気さは、先生の良いところでもあり悪いところでもある。理学部出身の俺から見ても、先生は典型的な理学部人間である。ところが彼は医者なのだ。この事実を、ついつい俺も忘れてしまうことがある(先生自身もあまり自覚はないような気がする)。思い出してヒヤッとするようなことがないといえば嘘になる。医者がどうした、という議論は棚上げする。ただ、実際問題として、社会が求める医者像や、医者が求める庶民像というものが存在するのは確かだ。

我々の逸脱は軽やか過ぎないか。そんなことを時々思う。半年前、俺はおっかなビックリで医学という世界に片足を踏み込んだのではなかったか。そのプレッシャーの何割かは、「医者」という人種と付き合っていかなければならない、という意識に起因していたはずである。それがいつの間にやら。かといって、今から改めて畏まるのもヘンだしなあ。